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同和問題・・・。

奈良の「病欠公務員問題」の深層・・・。

被差別部落問題解決の手法が、大きく間違っていることを忘れてはならない。

本来の解決法は、言われ無き環境格差を是正し、「差別する方を取り締まり、差別故に得てしまったメリットを吐き出させる」ことだ。

ところが、実際は、差別された(されている)方に、新たな利権を与える代わりに、差別する方が得たメリットもそのままにしてしまった。環境格差は、いくらか縮んだが、差別する方の取り締まりも十分では無く、差別した方が得たメリットも残された為、差別問題は、解消されない。

差別されていた方は、自分たちにも「同じように」何らかの利権をよこせと訴え、差別していた方は、被差別部落の民をいじめの対象・ストレスの受け皿として扱わず、子分にして、若干の分け前をあげるから、それで納得するようにして頂戴、というようなことを行ったに過ぎない。

ストレスの受け皿は、別の方法で新たに作成されているのだ。

子分の集団から、同等だと思っている人が出た。親分と同じ手法で、規定違反にならないのだから・・・、と目イッパイの権利を行使した。しかも、実体が伴っていない病気をダシに使った。

親分の世界でも、やりすぎは取り締まられる。

子分のやりすぎも、取り締まられることとなった。

現在の社会では、金銭・財産などによる差別がはっきりとある。

人々のストレスの受け皿を、被差別部落から貧乏人に移しただけだ。

金銭・財産の差が、その人の生後の努力や実働の差ならまだ良い。ところが、現状では、生まれながらの差となっているばかりか、貧乏では食事や環境の質が劣るので「育つ者も育たない。」みんなが貧乏だった時代とは訳が違うのだ。

しかも、受験で望まれているのは、搾取側の都合で編纂された知識で、学生が学ぶのは、搾取を合理化して行い続けるための知識だ。現状の経営学や法学などは、その最たるものだろう。

育つことさえ出来なかった競争弱者は、労働力を搾取される立場に追い込まれ、弱者故に報酬も抑え込まれる。ワーキングプアーなんて「英語で誤魔化している」が、実体としては、「旧来同様の階級社会」なのだ。

学校で、自分の本当の姿を見る術を教え、搾取して自慰することの異常性を学ばせ、人間社会を健康に存続させていくことを仕事にする人間を育てるようにしなくては、差別は無くならない。

差別する方の人間でも、される方人間でも、差別によるメリットを悪用し、搾取して自慰をすることは、ちゃんと取り締まられるようにしない限り、健康な人間社会にはなり得ない。

そもそも、ストレスの受け皿を作り出さざるを得ない人間社会自体、「大問題」なのだ。

問題を解決しようとしているのか?問題があるから得ることが出来る、病的な利益にしがみ付いているのか?

貴方の姿は、誰の目にも明らかである。ご本人の「自覚=思いの世界」以外では・・・。

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破滅の論理・構築の論理・・・。

自分とは、「約60兆とも言われている、地球生命体細胞群の一塊である」というのは、「現実」です。ですから、表現方法を変えることは出来ても、「実体」を変えることなど出来ません。

例えば、何々国人であるというのは、「現状」の人間社会で、人間たちが「思い」の上でラベルを貼り、集団的合意を作り出しているだけのことです。

「現実」を過小化し、「思い」を過大化すれば、何々国人と、そうでない人との間に、「大きな区別」が出来ます。

その区別を利用して、差別化すれば、「何々国人は、他の国の人々より優秀だから、他国の人々をリードする権利がある」というような、何々国人が、優位な「思い」も形成出来ます。

当然、それは、現実ではありません。人間の優秀さも、国の差より個人差が大きく、何を優秀とするのか?は、それぞれの「思いの世界」です。実体とは、程遠いものです。

「現実」より「思い」を優先して実行すると、「現実からの乖離」が起こります。

思いの上で、現実を無視もしくは軽視していても、実際に現実は存在しています。

思いを重視するあまり現実を無くせば、実体として存在しなくなってしまいます。

現実に存在しながら、現実離れした思いに基づいて行動を起こすと、相反する物事をつなぎとめておくことが必要になります。実体としては、現実に負担をかけます。

個人個人では、無意識のうちに不安・不満が生じ、その不安・不満を「現実離れした思いを維持したまま」解消しよう=誤魔化そうとすると、往々にして、大仰な自慰を欲するようになってしまいます。

現実を軽視していますから、自慰の為に必要な物事を「現実の環境を破壊」したり、「同胞である他者」から搾取するという「自虐的な行為」を行っても、自虐性の自覚すら持ちづらいものです。

しかし、自虐的な行為は、益々、無意識のうちに不安・不満をもたらし、往々にして、更なる大仰な自慰を欲するようになってしまうものです。

破滅の論理に基づいて、人生を送ってしまいやすいのです。

そのような状態の人間こそ「悪魔に魂を売った人」と言うべきでしょう。

「現実離れの思い」の奴隷として、自分を動かせば、悪魔に魂を売ったようなものです。

実体としては、少数の人々が破滅したところで、大勢に影響ないのかも知れません。

しかし、大多数の人々や人間社会で大きな権力を持っている人々が、破滅の論理に基づいて人生を進め、人間社会を誘導していけば、人類滅亡です。

破滅の論理に基づいて、人生を進めている人々の多さに、冷や汗をかいているのは、筆者だけでは無いでしょう。

人生を誤らない基本は簡単です。

「思い」より「現実」を優先することです。

それなのに、テレビ・マスコミ・ゲーム・教育等でも、「現実から離れていく思いを扇動すること」が、仕事となり、そんな事を行っている人たちが報酬を得ているのですから・・・。

格差社会を造り、搾取する立場とされる立場を造り、お金持ちや権力者に名誉を与える構造は、益々現実離れを加速させます。

現実離れを加速させているのに、仕事となり、報酬を得ている人たちもいるのですから・・・。

はっきり言えば、「努力・実働による格差は、善。立場・権力・搾取による格差は、悪」です。

善は健康をもたらし、悪は不健康をもたらします。

不健康な人間社会では、多くの人間が元気も出ません。

実体としては、それは「仕事」ではなく「破壊行為」です。

報酬を与えている者が「悪魔に魂を売った状態の人間」でないのなら、報酬など得られるはずもありません。

人類を破滅させたくないのなら、「悪魔に魂を売った状態の人間」に力を与えてはなりません。

お金の論理に力を持たせている「現状の」人間社会で、資金や権力を保持している人々は、どのような状態の人々でしょうか?

一人一人が「現実に」健康になれば、「健康な大衆合意」が形成出来、不健康な悪魔的人々は必然的に力を失います。

健康な「天国」的人間社会を構築する基本は、一人一人の実体のある健康です。

現実離れした思いゆえの資格など、「百害あって一利無し」です。

実体のある資格は、「現実が与える」ものです。

今一度、自分に、人類(=地球生命体細胞群の高度に構築された一塊)としての資格があるのか?を、考え直してみることをお奨めします。

近未来において、実体として資格の無い者は、実際に存続が許されないのですから・・・。

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天国か?地獄か?・・・近未来!

いじめられて自殺した者に対して、「もっとタフに生きることを学んで欲しい。」と言った愚かなコメンティーターがいた。

自分の本質さえ理解せず、他人を押し退けて生きるのは、強いことでも、タフでもない。実体としては、未熟で愚かで自虐的な行為だ。

ところが、人類は強さの優劣で人間社会を構築してきた。だから、未だに未熟で愚かな人間も数多く、自虐的な人間社会を「あたかも、それが変えようのないものであるかの如く」保持しようとしている。

現状を変えないメリットの多くは、「大仰な自慰を欲している」現状で立場が有利な人間に集中する。

また、立場を得ていない、多くの「大仰な自慰を欲している人々」は、有利な立場を求めて競争している。法的に規制されていないのだから・・・・、と環境を壊そうが、他人を貶めて金銭・財産・労働力などを搾取しようが、「自分の思い」を実現させようと奔走している。

まるで、何かから逃れようとしているように・・・。

そこに見えるのは、先人たちが「悪魔に魂を売った」と表現した状態だ。

現状の人間社会は、悪魔に魂を売った人たちが幅を利かせて構築しているようなものだ。

何故、多くの人々が、大仰な自慰を欲するのか?

自分がわからない不安・不満が根底にある。

その不安・不満から逃れようとして、他人からの認知や金銭・物品を追い求め、すがり付く。

自分を知れば良いだけなのに・・・。

現実的な自分とは、「約60兆の細胞の一塊」だ。

意思を持った地球生命体細胞群の一塊だ。

この現実は、何処の国の人でも、どんな人種の人でも、男でも、女でも、大人でも子供でも同じだ。

他人も、自分も、他の地球上の生物たちも、地球生命体細胞群の一塊であることに違いは無い。

この「現実」を、頭の中の「思い」より優先すれば、変なことは起きない。

地球生命体細胞群の一塊同士、しかも同類同士で、傷つけあっても自虐的なだけだ。

全ての人間が快適な人間社会を構築したくなるのが自然だろう。

他の生物にとっても快適な世界を構築したくなるのが自然だろう。

地球生命体細胞群にとっての仕事とは、地球生命体細胞群が健康に存続し続ける為に、自らの行動で仕える事だ。

「思いの奴隷が、自慰の為、破壊行為を行うこと」などでは無い。

現実の自分に忠実なら、不安・不満を埋めるために、必要以上に他の生物を殺し、食物とする必要も無くなるだろう。

この基本に忠実に人間社会を構築すれば、「天国」もしくは「愛の園」とでも言うべきものとなる。

人類は、今、悪魔に魂を売り渡して来た人間が幅を利かせて来た人間社会から、天使の論理(=現実)に忠実に人間社会を構築し直す「転換期」にいる。

近未来の人類が得るのは、「天国」か?「地獄」か?

あなたは、天国を造ることに参加しているのか?地獄を造ることに参加しているのか?

仕事をしているのか?破壊行為を行っているのか?

神(=現実)は、常に裁きを下し続けている。

あなたの人生の先に見えるのは・・・?

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いじめ問題・報道問題・・・。

テレビ・マスコミでも、頻繁に、いじめ・自殺問題の報道が行われている。いじめ・自殺問題は、何回も問題視され、何度も報道されているのに、一向に解決できないどころか、益々深刻さを増している。

実質的ないじめがあったにもかかわらず、「無かったこと」にしたい学校側。その状態を報道し、自分たちは正義ぶるテレビ・マスコミ。どちらも、「競争社会で他人より優位に立ち、現状では優位な立場を得ている、自虐性の強い人々の集団」だ。

どちらも、自らの問題点を反省する事無く、実体としては、「つけこまれるスキを作った奴が悪い」的な論点で、事を済ませようと画策する「醜悪な姿」を露呈している。

いじめ・自殺が、激減するわけも無い。

実際に「いじめを行った者」は、実際に罰を受けている。その者の無意識では、益々自虐性が増長されている。

それなのに、多くの場合、「現状の人間社会では、その状態はダメだという信号を十分に与えない」。いじめを行った者の問題指摘よりも、いじめの事後処理に奔走している。

他人をいじめる事は、自分を十分に知らず、セルフコントロールが十分に出来ていないことだから、そんな状態で良いわけも無い。

被害者と管理責任者側での事後処理問題に多くの報道時間を割き、状態が悪い人間の問題を告発出来ないのは、報道している方の状態も悪いからだ。

何故、いじめを行ってしまうのか?

その原因を正確に把握し、問題点を解消しない限り、いじめも自殺も激減しない。

競争社会とは、他者を利用して自己確認を行っている「自分で自分が実感出来ていない」人々の「レースごっこ」だ。

自分で自分を実感していれば、その「自虐性」もよくわかる筈だ。

無意識のうちに、自らの自虐性は、自己懲罰行動を呼び起こし、自己懲罰行動に溢れた人間社会は、戦争の歴史を繰返し、「環境・資源エネルギー・人口・思想問題」を自覚せざるを得なくなったのが現在だ。

個人個人の「自分を無視した自虐性」が集まって、「人類の惨劇」が起こってきた。

近隣で起こっているのが、「いじめ・自殺」で、自分を無視した自虐性のまま人生を進める人間が多数を占め続ければ、近未来に「大きな惨劇」を起こしてしまう。

「無かったことにしよう」としたり、現状では、自分は上手く現状適応出来ていて、優位な立場にいるから、「現状を変えないモグラ叩き的批判」だけしておこうとしている者は、大きな責任を負うことになる。

強い奴が勝ちで、勝った者に搾取が許されるのなら、「地球さえ無くしてしまえる武器を保持する者が、人類を地球ごと搾取しても」文句も言えないことになってしまうことを忘れてはいけない。核兵器とは、数十年も昔に実用化されている古い兵器に過ぎないのだ。

人類でも、そのような武器を保持できるのだから、いい加減に「未熟で自虐的なレースごっこ」は止めるべきだ。

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後を絶たない、いじめ、自殺・・・。

学校でいったい何を教えているのか?今一度、冷静に考えて頂きたい。受験に勝ち残るために、「覚えなくてはいけないこと」・・・。スポーツ競技で勝ち残るために、「身体に覚えさせた方が有利なこと」・・・。

どちらも、「他者との競争で優位に立つ為の資質」だ。

他者との競争で優位に立つ方法は、他にもある。「相手を蹴落とせば良い」のだ。

他者との競争で優位に立つ方法ばかり教えられていると、教えられている方にはストレスが溜まる。

ストレスを晴らす方法として、「教えられているパターンが選択され易い。」

他者を貶め、あたかも、自らが「競争に勝つことに成功したかのような感覚」を求め、自分を「宥め、慰めよう」とする。

人間同士競い合う人生では、「人生に本来の充実感が持てない」から「無意識のうちに、不安・不満」が蓄積する。

実体として、同類同士で競い、争い、蹴落としあっても「自虐的なだけ」だ。

知らず知らずのうちに、不安・不満が蓄積するのも当然だ。

現状の世界では、その不安・不満を「成功者へご褒美として、大量の自慰物質を与える」ことで誤魔化そうとしている。

「成功すれば、良い生活ができるのだから、頑張れ!」という「思いの上での納得法」を訴え、「基本的な大きな誤りを直す事無く」時を重ねさせようとしている。

この手法の先にあるものが「人類滅亡」であることに、多くの人たちが、薄々は気づいている。

感性の豊かな若いうちは、尚更、敏感に「競争社会の手法に自虐性を感じ」、「やっていることに疑問や虚しさを感じたりする」ものだ。

解決が見出せない疑問の感覚は「大いなるストレス」となり、虚しさは自殺を後押ししてしまう。

頭で割り切って「現状社会に上手く適応して、成功者となり、自慰生活を送ろう。だから、頑張ろう。」と「思えた」ところで、実際の虚しさ・疑問が無くなるはずも無い。

自虐的なストレスは、益々「病的な自己確認行為」を促がし、いじめや略奪行為等が多発する。

そもそも、他者との比較で自分を確認しようとする欲動は、「自分で自分を健康にコントロール出来ていないから出てきてしまう欲動」だ。自己を知り、自分で自分を健康にコントロールすれば要らない、「未熟であったり、病気であったりするから、必要だと感じたり、思ってしまう」ことだ。

いじめも、多くの場合、主として、いじめる者に問題があり、いじめる者の、「未熟さを直したり、病気を治したりする」のが、本来の教育だ。

ところが現状では、いじめた者、いじめる者に対する教育・治療が、あまりにも少ない。それは、いじめる方が「競争社会では有利だから」だ。相手を蹴落とす論理である。

この力の優劣の論理の先にあるものは、人類滅亡だ。

自分を知ることも、自分を健康にコントロールすることも、人生や人間社会の実体も教えないまま、競争に有利になる知識・身体を身に付けさせたところで、「人類滅亡の呼び込み」をしているだけだ。

いったい何を教えている?学校!教師!

何を望んでいる?政府!文部科学省!教育委員会!

何れ責任はキッチリととって頂く。

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カウントダウン!!!!!

自分を知らないことほど、恐ろしいことはありません。
自分を知らない人ほど、強情になりがちです。
自分を知らないことほど、コワイことはありません。

ところが、現在でも多くの人々が「自分とは何?」という疑問を持ち続けています。
実は答は簡単なのですが、この問題は、「意識という私観の世界だけで思いを巡らせる」と大いなる迷路にはまってしまい、なかなか解決できません。
しかし、科学的な情報が十分にある現在では、現実的な実体を認識することで容易に答を得ることが出来ます。

ところが、自らの「思いの奴隷」と化してしまった人々は、現実より思いを優先したがります。
結果として、例え、答を知っていても「現実に忠実に生きようとはせず、思いに優先権を与えて生きよう」としてしまいます。

『現実的なセルフコントロールを行わず、思いの世界に現実逃避した人生を積み重ねてしまいやすい』のです。

多くの人たちが、思いの世界に現実逃避する人生を積み重ねて来た結果、人間社会全体も現実から大幅に乖離してしまいました。
現実から大きく乖離してしまった人間社会と現実の間に、『実体のある問題』が姿を顕にしました。
実体のある問題とは、現実離れした人間社会を、辛うじて現実と繋ぎ止めている命綱の表面に見えている物事です。

人類は、今、『環境・人口・資源エネルギー・思想問題』という『現実問題』を『自覚せざるを得なくなり』ました。
現実問題を解消することで、人類は、命綱に頼らずとも、現実と共に『存続』出来ます。

現実問題を解消するためには、『誰が?』と特定の人に頼らず、『何が?』と現実を検証し対処していくことが必要です。
特定の人に権力を与えても、現実問題は解消出来ません。
『権力は、事実に預けること』が必要です。

現実からの乖離を更に進め、命綱を細くし続ければ、命綱は切れてしまいます。
命綱が切れてしまえば、人類滅亡です。

現実離れを進めれば進めるほど、人類も人間社会も、ますます『不健康』になり、『長く存続できないもの』になってしまうのです。
「思いの上ではスーパーマンでも、実際に健康的な食生活も行わず運動もしなければ、生活習慣病を抱えた身体になってしまい、場合よっては命をおとしてしまう」のと同じようなことです。

現実離れゆえの不健康さは、時を重ねると共にその度合いを増し続けています。

自分に都合の悪い物事を、直視したくないのは、人の常です。
そこで、そのような私観の都合をサポートしてくれる人々は、往々にして、ありがたがられてしまいます。

しかし、人々の現実逃避を扇動する者たちや、ずうずうしく、他人という同じ人類から、労働力・資金・資源・財産等を搾取し、それを正当化している者たちが、賞賛され、多大な金銭・権力などのメリットを得ている一方で、同じ人類が、食糧難や不衛生な環境、搾取、或いは同類同士の殺し合いゆえに早死にしている現状の人間社会は、どう控えめに見ても『重篤な病気』です。

現状では、現実離れした思い故に派生する物事であっても、大衆が欲しがる物事であれば、そのような物事に『実体以上に高い価値』を与えてしまっています。
「現実離れを促がす思いの扇動者に、メリットを与えてしまうことを是とする大衆合意」まで、横行してしまっています。

実用性が無いのに異常な位高価な宝飾品や美術品など、或いは、異常な位高収入な芸能人・司会者・スポーツ選手・マネーゲームの成功者・・・。

現実的には、それらの人々や物品を優遇したところで、人類の問題が解決し易くなるわけもありません。
優遇することで、益々、人々の現実逃避が容易になるだけです。

優遇される立場を目指すのは、『現実を見ずに、現状適応に励む』『自覚の無い人たち』の常です。

現状の人間社会では、自覚の無い人々が大勢います。

多くの人々が、現実離れした思いを追い求め、あたかもそれが人生の成功像であるかの如く、平然と『大いなる勘違い』をしているのです。

多くの人々が、知らず知らずのうちに、或いは確信犯として、自分で自分の首を絞めているのです。

人類滅亡の時が迫ってきてしまうのも、当然でしょう。

自然界の法則では、現実適応の出来ない=現実離れした生命体は存続出来なくなってしまいます。
それこそ「神の真意」とでも言うべきことでしょう。

人間に対して比喩的表現を用いるのなら、「神の裁きとして、思いに溺れる悪魔に魂を売った者たちは、地獄=存続を認めない世界へ貶め、現実適応の出来る健康的な存在は、天国=健康で快適な世界で存続を許す。」といったところになるのかも知れません。

思いの世界の神様と現実の世界の神様(=実際に起こること)では、裁きも全く違うのです。

例え、大量の金品を、現状の人間社会で偉ぶっている教祖に献上してお願いしても、この現実的な裁きは覆りません。
むしろ、宗教とは「思いによる納得法」ですから、思いに現実逃避してしまったことを積み重ねた害が増えるだけで、益々悲惨なことになるでしょう。
「偽りの神を信じてはならない」の真意です。

実体としては、神(この宇宙全体の実現象)が、人類が、思い重視から現実重視へと転換出来る『本当に信頼できる高等生物』になり得るのか?どうか?の「テスト」として、また、思い重視の生物のままなら地球から大幅に出る前に自滅させる「安全装置」として、人類に宗教という「思いによる納得法」を与えたのかも知れません。

現状のように思いに溺れる人々が多数を占める人間社会なら、人類滅亡の時が、早足で忍び寄って来てしまう仕組みになっているのです。

一人一人の責任は、重大です。
立場のある人々の責任は、更に重大です。

現状では、多くの人々が、自分の思いに忠実に生きようとしています。

自分の思いとは、「私観の世界」です。
高等生物である人類は、「客観」的にも物事を判断出来ます。

ところが、自分の思いにこだわっている状態(=思いの奴隷)の人々は、「思いを同じくする同胞を求め、数を集め、人間社会で力を持たせ、あくまでも私感である思いの実現を図ること」に多大なエネルギーを使い奔走してしまいやすいのです。
自分の思いに実人生を捧げ、自分を「自分の思いに忠実にコントロール」し、他者を巻き込んで自己の思いの実現を図っている訳です。

そのような状態こそ、「悪魔に魂を売り渡した」状態とでも言うべきでしょう。

多くの場合、私観は十人十色ですから、特定の人の私観を優位にして統率を図る為に、何らかの締め付けが必要になります。

人類が選択してきた「締め付けの手法」は、力による優劣でした。
腕っ節・武器・資源・資金・思想・思考などの優劣を実際にぶつけ合い、その勝者の思いを中心に人間社会は構築され続けて来ました。

そのような人間社会では、勝者の思いに忠実であれば、立場に応じてそれなりのメリットが得られます。
また、敗者の思いでも、ある程度の数を集めれば、それなりのメリットが生じます。

結果として、人々は、より大きなメリットを得る為、自らの思いの実現の為、立場を争い求め、人類同士の殺し合いまで含む、烈しい競争を行って来ました。

現状の人間社会は、残念ながら、この「過去の歴史の延長線」にあります。

延長線の先に見えるものは何でしょうか?

妄想なら、自慰的天国を見出すことも可能でしょう。
しかし、客観的に現実を見ることが出来る人たちは、この延長線の先にあるのは『人類滅亡だ』と気づいています。

それでは、いったい、人類はどうすれば、良いのでしょうか?

もう少しの間は・・・、
見て見ないふりをして、益々私観にこだわり、思いに溺れ『現実逃避の世界』に逃げ込むことも可能です。
来る時が来るまで自慰に明け暮れ、問題から逃げ続けることも可能です。

そして、来る時が来たら、力による優劣で生き残りを選択し続けることも可能です。
現実的には、みんながそれぞれ生き残る権利があると、力をぶつけ合うのですから、それは、核戦争を意味します。

間違いなく人類は先細りし、環境も悪くなり、人類滅亡の日をむかえることになるでしょう。

「裁きの日をむかえる」訳です。

悪魔に魂を売り渡した状態で時を重ねてきた人類に、「復活の日」など在り得るはずもありません。

このような道筋は、本当に知的な高等生物が編んで行く道だと言えるのでしょうか?

私観的思いが求める「力による優劣」ではなく、『現実との整合性という客観的な指針』に方向性を求めるのが、人類が知的な高等生物として道を誤らない方法です。

言うまでも無く、太古の時代は、現実を検証する術など、ほとんどありませんでした。
『現実がわからない』ストレスは多大で、思いによる解決を求めるしか術はありませんせした。
その大いなるストレスが、多くの場合、人類を力の優・劣による私観的思いの実現・服従へと誘ってしまっていました。

しかし、現在では、人類は、先人たちの努力と大いなる犠牲の下に、多種多様な現実を検証する方法を持っています。

もはや旧来の手法にこだわることは、「百害あって一利無し」です。

基本的手法の『一大転換期』をむかえているのです。
転換できなければ、人類の長い存続は許されません。

現在では、多くの重要な物事を『私観的思いの世界に預けず、客観的な現実の検証結果に力を持たせること』で解決出来ます。

多くの人々が、旧来からの私観的思いの世界の手法を用いることは、「多くの場合自虐的になってしまう」ことをはっきりと「自覚する」べきでしょう。

古代では、腕っ節が強い者の権力が絶大でした。
結果、腕っ節が強い者の思いは実現化しやすく、多くの人々は、強さを求めるようになってしまいました。

腕っ節が強い者を駆逐しようとした人々は、より高度の武器を考え出しました。
体力的に劣っていても、武器の性能がそれを上回れば争いに勝利出来ます。

その結果として、より強力な武器を持つ者の思いが実現化しやすくなりました。

現実的により強力な武器を持つ為には、現実の検証が必要不可欠です。
結果として、現実を検証していく科学的手法がどんどん考え出され、実用化されました。

人々は、それらの科学的手法を、戦いだけでは無く自らの生活にも活かすことで、豊かな人生を送ろうとするようになりました。

この流れが、現在も続いています。

しかし、ここで、今一度、冷静に考え直すべきです。

現実を検証する為の科学的手法を構築して行くために、『戦いや競争は必需品ではありません』。
豊かな生活と自慰生活とは別物ですから、並外れたご褒美なども必需品とは言えません。

幼い成長期であるが故に許容されていた、今までの人間社会で用いられてきた手法は、もはや使い続けられる時期では無くなっています。
既に、旧来からの手法は、人間社会の健康を大きく阻害しています。

それでも尚、旧来からの手法による人生を推奨し、『現状適応・現体制=現状維持』を叫ぶ人たちは少なくありません。

また、「旧来からの思いの世界にこだわり」生きている人々は、戦って勝つことを目標にしたり、並外れたご褒美が貰えると「思え」ないと、やる気さえ起こせないのかも知れません。

自分さえ満足に理解できていないのですから、当然です。

自分がわからないまま「無理やり目標を持ち」、ひたすら病的な現状社会への『現状』適応を目指すその姿は、客観的に見れば、「悪魔に魂を売り渡して、自らの存在を消し去る自滅競争」を行っているように見えます。

人生の目的が、大量のお金を得て自慰生活をすることだったり、多大な権力を手中に収め自分の思いの実現を図ることだったり・・・、するのは、自分さえわからない状態だからです。

「世界で一番強い人になりたい。」などという思いも、自分がわからないから出てきてしまう思いで、例えば、世界で一番殴りあいが強い人間になれたとしても、それは、同類同士の傷つけあいにおける自虐的ゲームの強者に過ぎず、そんな者になったところで「自分がわからない無意識の不安」は無くなりません。

「右手と左手を思いっきりぶつけ合って、より多く傷ついた方を負け、傷の少なかった方を勝ちとしたところで、自分で自分を傷つけただけだ」ということなら、多くの人が理解出来るでしょう。

人類が人類と殴り合って、より多く相手にダメージを与えた方が勝ちというのが、自虐的だと思えないのは、『自分も他人も同じ人類だと実感出来ていない』状態だからでしょう。

「現状の」人間社会では、自虐的ゲームの勝者となれば、同類である人類から「認められた」と「勘違い出来る」物品・情報を得ることが出来るだけです。

実際の人間社会が、現実離れしている不安が消える訳もありません。
自分の周りにさらなる自慰物質を掻き集めて、守りを強固にしたつもりになっている人たちも多いようです。

そんなことをしても、無意識の不安・不満が消える訳もありません。

自分を慰め、現実逃避し続けることが人生の目的で無いのなら、エネルギー・資源の無駄遣いだとも思えるでしょう。

例え、死ぬまで自分を慰め続けられたとしても、そのような人が、「実際に」この世界に残したものとは、「多大な消費=つまり地球・地球生命体細胞群に対する大いなる傷と、思いの奴隷の憧れ像としての情報」といったところでしょうから、多数の人々を誤った方向へ憧れさせたり、この世界に大きな傷を付けてしまった分だけ『悪質度』は高く、例え、どれ程多くの他の人類が、「思いの上で賞賛」したところで、実際は「地獄行き」です。

せっかく高度な生命体としてこの世に産まれて、いったい何がやりたいのでしょう?

ところが、お金持ちや権力者や強い人間を「夢見る人々」は、未だに多いようです。

「現状人間社会の病根は深い」と言わざるを得ません。

はっきり言えば、同胞や地球から労働力や資源・財産等を搾取する行為は『癌細胞的』です。
より有利に搾取出来る立場を、努力して得ようとする行為は、「一生懸命癌細胞になろう」としているようなものです。

権力・お金・脅し等で、同胞を自分の思いに都合よくコントロールしたところで、自分を健康的にコントロール出来ている訳でもありませんから、「無意識の不安や不満の欲動」は消えません。

癌細胞的人間が生息し易い立場を、構築したり、維持したりすることは、人間社会の病根を深くするだけです。

『現状適応』を目指し、そのような立場を追い求める人生など、『破壊的・自滅的な人生』以外の何ものでもありません。

人間同士で争い・競いその勝者になったとしても、「勝者も人類・敗者も人類」ですから、大勢に影響など無く、むしろ、環境を傷つけ、時間・エネルギーの無駄遣いをした愚かな行為に過ぎないことは、もはや明らかです。

自分を知れば、そんな破壊的・自虐的な行為など恥ずかしくて目標にも出来ないでしょう。

より強力な武器を持つ者たちの思いが実現に有利なのは、争いが前提だからでした。
だからといって、人類はずっと争っていた訳ではありません。
ある争いに決着がつけば、しばしの平和期が訪れます。

平和期の思いの実現に対する優先権を縛る手段となったのが、お金です。

民主主義の見かけ上の大衆合意の裏には、多大な金権構造があります。

現状の経済システム抜きに人生を考え直してみると、雑音が減る分だけ、実体がつかみ易いものです。
金銭が、人間社会への現実的貢献度に対する対価なら、その害は少ないものですが、現状では、自滅・自虐度の高い人たちほど、お金持ちになり易いのですから・・・。

武器にしても、お金にしても、どちらも特定の人々の思いを実現する為の締め付けの手段に過ぎません。

そのような締め付けの手段を容認し、力を持たせた来た結果、顕になった物事の代表が、環境・人口・エネルギー資源・思想問題です。
そして、現状の人間社会を維持し、時を重ねて得られるのが、人類滅亡です。

今までの人間社会は、意識的思いを優先するあまり、自己の「無意識部分」や「本質」を無視した方向に突き進んで来てしまいました。
それは、現在では『大きな誤り』と言わざるを得ない手法でした。

今までの人間の成功像とは、「多大な権力・お金・財産等を手中に収め、自分の思いの実現を図り、贅沢な自慰生活に溺れること」でした。(家庭や学校の社会・歴史の授業でも、「未だに」、それらの権力者を、あたかも目指すべき人間の成功者として、或いは成功の中の失敗部分を避ければ、より偉大な成功者となれるかの如く、教えているケースも少なくありません。)

表向きには、「自国民=大衆の幸せを謳い」、自己の立場や権力等に対する「大衆合意を構築すること」も望まれています。そうしなければ、立場や権力等は安定的なものとは成り得ませんから・・・。

しかし、良く考えてみて下さい。

それが、本当に「人類の成功像」なのでしょうか?

他人を蹴落としたり、思いを扇動する能力を養ってきた一部の人々が、表向きの立場や大衆合意を得て、武器やお金で大衆を締め付け、私観的『思い』の実現を図ってきたこの構造が、人類に「戦争の歴史」を造らせて来ました。

戦争中は、特定の人々の思いの為に、先兵となる『同じ人類』の命が犠牲になります。
戦時中は、敵兵という「思いの上のラベル」を付けられた『同じ人類』をより多く殺した者が、優秀な人間として扱われ、勝利すれば、多大なご褒美さえもらえるものです。

しかし、本来、自らがわからない無意識の不安・不満と、お金や教育・社会構造などの『マインドコントロールや、締め付けや、それに従い勝ち残った時に得られる、自慰的メリットなど』が無ければ、自らの命をかけて同類まで殺し、権力者の思いの為に奔走しようとする人などいないでしょう。

残念ながら、現状の人間社会は『戦争の勝者の思い』で構築されてきましたから、多くの人々が、その思いの延長に『マインドコントロールされながら』人生を送らされています。

未だに、多くの人々が、あたかも、「人類同士の争いに勝ち続けることが、勝ち残りの秘訣」であるかの如く、勘違いしています。

『実体としては、人類同士の争い、「勝者も人類、敗者も人類!」です。』
『実体としては、地球環境まで傷つけ、ひたすら自滅的・自虐的なだけです。』

衣食住が出来るのにもかかわらず、自分たちの思いや自慰生活の為に、同類で潰しあいを行う姿は、正に『狂気の沙汰』です。

その方向の行き着く先は、『人類滅亡』です。

何故、そんな、冷静に考えれば愚かなことを、『行ってしまう』のでしょうか?

それは、『思いに無視された無意識が与える自己懲罰』なのです。

人々の思いの方向性の多くを、実際にコントロールしているのは『無意識の欲動』です。

多くの人たちは自覚が無いでしょうが、『無意識のエネルギーは、意識上のエネルギーよりずっと大きい』のです。

無意識を自覚せず、無意識の大きなエネルギーを野放しにしていると、知らず知らずのうちに意識も操られてしまうのです。
判断も考え方も、実際は、無意識のエネルギーにより左右されているのです。

意識上の思いだけにこだわり、自らの本質や無意識を置き去りにしてしまった結果、多くの人々の無意識では『自己懲罰→死の欲動』というエネルギーが『規制無く』働き、結果として、意識上の判断も『知らず知らずのうちに』、その方向へ向かわせてしまってきたのです。

人間は、誕生後しばらくは、成長を続けます。
死んでいく細胞よりも生まれてくる細胞の方が、多い訳です。

人間社会でも、同様に、人類はその数を増やし続けて来ました。

細胞数を増やしている間は、例え、怪我をしても、新たな細胞がどんどん生れてきますから、治りも早いものです。

成熟して細胞の代謝速度がおちると、怪我も治りにくくなります。

老化して、生きて行くために必要で十分な新陳代謝が行えなくなってしまうと、どんな人間でも、死んでしまいます。

現状の人間社会は、地球上で、これ以上人類を増やすことは、難しくなりつつあります。
つまり地球上の成熟期に達しています。

人間社会の場合、老化して衰退し、一人の人と同じように死んでしまえば、人類滅亡です。

一人一人の人間は、必ず死にます。
更に、死の刺激に対して忠実に人生を進めれば、元は健康な人でも、程なく不健康になり、本来の寿命より早い死を迎えてしまいます。

一人一人の人間にとっての手法を、知らず知らずにせよ、そのまま人間社会に広げ続けていると、人類は滅亡してしまうのです。

地球上で成熟期をむかえている現在の人間社会では、多くの人々が、この仕組みを良く理解し、人間社会で行っていることの実体を自覚することが必要です。

多くの人々が、自らを良く理解し、無意識の生死のエネルギーを「駄々っ子のように人間社会にばら撒く」旧来のライフスタイルから脱する必要があります。
人間社会を永続させる為にも、自らを『無意識も含めて』健康にコントロールすることが必要です。

現状で大きな権力を持っている人々は、尚更です。

無意識を野放しにしたままだと、「どうせ自分は死んでしまうのだから、生きている間だけ良い思いをして、後は知らない」となりがちです。
多少、意識的に冷静に考えることを加えても、「それでは、あまりにも悪者すぎるから、思いの上では自己保存だと思える、自分の子供たちには苦労させないようにしておこう」といったところが付け足される程度でしょう。

実際は、自分の子供=自己保存とはなり得ず、特定の別人に『産まれながらの特典』を与えてしまう害の方が、ずっと大きいのですが・・・。

つまり、そのような行動では、実体として悪者であることに変わりはありません。

自己を知り、無意識を理解する為に、先ず、自分の本質から見てみましょう。

一人の人とは、「約60兆とも言われる細胞の集まり」です。

そして、それが「自分」です。

命の連続を知れば、『地球生命体細胞群』の約60兆の細胞の一塊が「自分」であることに気づかれるでしょう。
『どこの国の人でも、どのような人種でも、どんな人でも、この実体は同じ』です。

本来なら、この自分の本質こそ、どこの国に属するとか、どんな人種であるとか、・・・、などの「思いをサポートする要素よりも、優先されて扱われていなければ」いけません。

言うまでも無く、約60兆とも言われる「細胞の一つ一つを意識して生活する」ことなど不可能です。

そこで「思い=意識上では、単純化」されます。
自分は「一人だ」と・・・。
旧来は、この「思いの自分」が基本でした。

この単純化から話を進めると、自己の一部だけを偏重している無意識の不安定感から・・・、

自分も一人、ある他の人も一人、でも、違いがある・・・。
違いは、何?・・・
自分は、何?・・・
自分は、良いの?悪いの?・・・
他の人よりも存在価値があるの?ないの?・・・
自分が死んだら、どうなるの?・・・

・・・と、知りたいこと、確かめたいこと、思いの上で納得したいことが、必然的に発生します。

人々は、それらを「『丸ごと一人の自分のまま』思いの上で解決、納得しよう」としてきました。

その結果情報は、到る所で見ることが出来ます。

実際の人間の生命活動は、丸ごと一人いっぺんに起こっているわけではありません。
それぞれの細胞が生命活動を行い、その集大成として一人の人間は存在しています。

『人の生死は、細胞ごとに起こっています。』

ですから、脳細胞が死んで減少して記憶などの能力が衰えたり、覚えていた情報を失ったり、肌の細胞が誕生する速度が死ぬ速度より遅くなると肌も老化してしまいます。
丸ごと死んだとされる人でも、爪や髪の毛が伸びたりします。

細胞ごとの誕生・死を行い、瞬間瞬間、変化し続けているのが、人間の生命活動です。

当然、丸ごと一人の霊魂など在り得ません。

しかし、だからと言って、一つ一つの細胞の誕生・死をそれぞれ意識しながら生活するのは大変です。

生物古来の細胞活動の上に、高等生物として「意識・理解能力を発展させたのが人間」です。

通常人間は、細胞の生命活動等は意識せず、身の回りの環境や自分の考えなどを意識して、生活しています。

「高等生物の特権部分に安住してきた」と言っても良いのかも知れません。

『実際は、人の生命活動には、「意識していることと、意識していないこと」がある』訳です。

一つ一つの細胞の誕生・死は、意識していないこと=無意識の代表みたいなことです。
重要なのに勘違いしがちなことですが、「意識していないこと=無いことではありません。」

しかし、自分で意識出来ていることが全てなら、人生のコントロールは簡単ですから、多くの人たちは「意識=全て」だと「思いたがり」ます。

実は、そこに大きな罠があります。

無意識を放っておくと、無意識の欲動は『何ら規制されることも無く』、『それが意識的行動にも影響を及ぼしてしまいます』。

実際の『自分の基本』は、
「自分は約60兆の細胞の集まりで、その細胞の集まりの『命の連続』は、太古の生物から続いている。」
「つまり、自分とは『地球生命体細胞群』の一塊の細胞の集まりで、その細胞の集まりのコントロールを任されている存在なのだ。」
といったところでしょう。

この「自分の基本」は、思いに忠実に、「現状」適応に忙しく生きてきた人々にとって、意識し辛いものでした。

意識できないからといって、「自分は何だ?」という「大問題」は無くなりません。

自分が何か?がわからなければ、『何をやったら良いのか?何をやってはいけないのか?どんな人生が成功なのか?・・・』さえわからないでしょう。
自分とは何か?という問題は、『人生の根幹にかかわる大問題』です。

自分は何?という大問題を「無意識部分を無視、もしくは過小化して意識上で解決しよう」とした結果、人類が起こしてきたのが惨劇の歴史です。
現実離れしているが故に、大変なことが起こりやすかったのです。

自分とは何か?を確認しようとする代表的なパターンとして、「自己の行動や人生の正当性を、周囲の人々の反応によって確かめよう」とするパターンがあります。

「あなたが大切!」と言ってもらえると、ひと時の安堵感に浸れるのは、「他の人から認められている信号」を受けて、『自己確認が出来る』からです。
しかし、実際は、自分がわからない不安・不満が無くなったり、自分を健康的にコントロールできた訳でもありませんから、ひと時が過ぎれば、また、他者からの信号が欲しくなるものです。

「自分はどれ程強いのか?」と「同じ地球生命体細胞群の集まりである他人」と争い競い、時には同胞の命を奪っても、その「自己確認行為」を遂行しようとしてしまうパターンもあります。

例え、ある競争に勝利できて、意識上では「自分は、相手よりも存在する価値が高かったのだ。」と思えても、「自分とは何か?」は「実感出来ません」。
ひと時の『自慰的満足感』に浸れるだけです。

それと同時に、無意識では『同胞を傷つけてしまったストレス』が、益々自分を追い詰めて行きます。
『益々、自慰物質を欲しがったり、自己確認行為を欲するようになってしまう』のです。

それでも、自分が優位なうちは、『都合の良い』確認行為を繰り返してしまうかも知れません。

ところが、世の常として、いつまでも若く体力的に優位だったり、いつまでも相手より優位な武器や立場を持ち続けられている訳でもありません。

そこで、『思いによる納得法』が考え出されることもあります。

例えば、ある特定の体力争いに勝った後、「これは神の思し召しだ。」と周囲の人々に風潮し、「我を傷つけることは神に対する冒涜だ。」とでも続けておけば、科学的情報の十分でなかった古代の人間社会では、一定期間安定的な権力者となることさえ、それ程難しいことでは無かったでしょう。

人々の思いを規制する手段として、『思いによる納得法』も有効です。

この思いによる納得法は、元が思いですから、他の思いで簡単に否定されては困ります。
そこで、多重・多層・複雑に思いを工夫し、明らかな現実を思いの構造の一部に取り込んだり、色々なツールで威厳を持たせたりして、『否定が難しい構造』に構築されていくものです。

多くの宗教が、この仕組みにより誕生しました。

客観的に「現実を見れば」、大元の自己確認行為は、同類同士で傷つけ合っている行為に他なりません。

それは、本来なら必要の無い自虐的なことです。

ところが、人類の歴史を振り返ると、正にこの同類同士の自己確認行為争い=戦争の歴史でした。

その勝者は「自分たちの歴史が正しいと思いたくて=意識したくて」益々、同類同士の競争行為に拍車をかけてきました。

意識部分だけに拘り、自己確認行為を遂行し続けてきた訳です。

自己確認行為の勝負では、『競争の勝者=生のエネルギー=丸ごと善、競争の敗者=死のエネルギー=丸ごと悪』という『身勝手な単純化』が行われます。

『身勝手な単純化』は、『意識し易く、思いに持ち続け易い』ものです。

おまけに、勝利して相手を力で抑えることで、『敗者からの搾取を、容易に行うこと』が出来ます。

搾取により得た物事で、『より大仰な自慰』も可能です。

国という単位なら、競争の勝者となった国、或いは競争の勝者が多い国は、この病的なメリットが得やすく、敗者となった国、或いは敗者が多い国は、滅亡もしくは、衰退し易い仕組みです。

現在の日本における大企業の景気回復も、この方法を利用して手に入れたものです。

忘れてはいけないことは、『常に相手が必要になり、勝利には自慰的ご褒美が必要で、自腹をきらないご褒美には、搾取が必要となり、搾取を思いの上で合理化するためには、相手を「丸ごと」悪者扱いする方が有利である』ということです。

「努力して需要に対応出来ない下請けが、悪いのだ。」などという病的な論理は、搾取を正当化する「思いの納得法」以外の何物でもありません。

本来は、自己の中に双方とも存在する誕生・死のエネルギーを、自己の思いの実現に都合の良い部分だけ自分のものとして扱い、他方は無視しようとしても『無意識からの刺激は消えないから、思いの上で都合の悪い部分は「丸ごと」他人に投影し押し付ける』という構造になっているのです。

『自分の問題を自らコントロールせず』、他人を利用して『不健康で自虐的な自己確認』を行っているのが実体ですから、困ったものです。

自覚すれば、恥ずかしさのあまり小さくなってしまう人たちも多いのではないでしょうか?

知らず知らず、自覚を妨げる情報で人間社会を満たそうとしてしまっている人々も、早く目を覚ますべきです。

ある程度の自覚を持てば、現在の競争社会は、人類にとって、かなり深刻な病気であることに気づかれるでしょう。

そんな物事を益々推進させようとする「現実離れした危ない人物に、あまりある多大な権力を、与え続けてはいけません。」

現状では、人類が『自ら、益々、深刻にしている』のが、「環境問題・人口問題・エネルギー資源問題・思想問題」です。

そもそも「地球の資源を勝手に自分のものだと主張したり、その権利を奪う為に同類である人間を殺したりしてきたこと自体、非常に『自虐的な行為』」です。

環境問題・人口問題・エネルギー資源問題・思想問題を実際に解決する為には、『多くの人々が自己に対する理解を深め、自虐的な過ちを正直に素直に反省し直し、地球生命体細胞群として健康な生活スタイルに転換して行くこと』です。

『人類に残されている時間は、あまり長くありません。』

それなのに、未だに、丸ごと一人の霊魂とか、血統とか・・・、経済原則とか、優劣思想とか・・・、思い=意識部分だけに拘った愚かで自虐的な物事を一生懸命行っている人たちが少なくないのですから・・・、困ったものです。

丸ごと一人の霊魂を「考えたり信じたりする」人たちは、「細胞ごとの生死という現実」を知らない、或いは思いに拘り=意識的に無視したいだけ、なのです。

故人に対する情の問題にしても、その故人が「地球生命体細胞群の健康な存続にどれ程貢献したのか?」によって、「心の底=無意識からの敬いや感謝の情」は違うものです。

別に丸ごと一人の故人の霊魂が無くても、情の面でも何も困りません。

おじいさん・おばあさん、ありがとう!という気持ちは変わらず、その「健康な思いを受け継ぎ」「現実的に健康に生きよう」と思えるものです。
故人の霊は今何処?なんて「妄想」は無くなりますが、時には故人を思い出しありがとうの気持ちを自分の中で再燃させることが出来ます。

より強く故人を思いだすきっかけとして、お仏壇やお墓を利用しても良いでしょう。

失うのは、丸ごと一人の霊魂という「妄想だけ」です。
得るのは、より正確な現実把握能力と感性です。
現状の人間社会の問題点もより鋭敏に感じられますから、指摘も是正も簡単です。

丸ごと一人の霊魂とは、「思い=意識による納得法であり、その思いは、思う人々を現実離れさせている」のです。

人間現実離れしていると、とんでもない事も平気で行えてしまいます。

例えば、何人もの同胞の命を救うことが出来るお金を、「思いの為に浪費し、特定の誰かの自慰生活を後押しする」ような、自虐的な使い方に費やすことも可能です。
お金を差し出す方も受け取り自慰生活を行ってしまう方も、思いに溺れている迷い人で、そのような状態を平然と作り出し、更に、テレビ・マスコミ等で後押ししている人間社会は、本当に「重篤な病気」です。

重篤な病気にかかった人間社会では、多くの人々の元気がそがれるばかりか、治療無しなら、死=人類滅亡をむかえてしまうのですから・・・、早く目を覚ますべきです。

血統思想に溺れる人たちは、血統の実体を理解していません。

科学的に見れば「兄弟姉妹でも血統は別」です。
遺伝子は組み合わせで使われ、発芽因子も違うのですから当然です。

歴史的事実を見れば、「長く遡れば、人類皆兄弟」です。

日本である程度短く見ても、平家も源氏も元は天皇ですから、同じ血統だとも言えます。
おまけに、父系血統だけ「考えたがる」人たちも多いのですが、遺伝的には女性優位な部分もあります。(ミトコンドリアのDNAなどは明らかに母系です。)

自分の子供だからといって、自分の血を残すことなど実際は出来ていないのです。
組み合わせで使われるパーツを提供しただけなのです。

ですから、同じような生物的環境適応因子を持っている子供なら、実子でも養子でも人工授精や代理母の子供でも、現実的には同じようなものです。

子育てで子供に伝えられる物事は、遺伝子よりも誕生後の生活環境を共にすること・コミュニケーション等により伝えられる物事の方が圧倒的に大きいのですから・・・。

ところが、現実より思いを重視すると、養子より人工授精や代理母を選びがちになってしまいます。
人体に多大な負担をかける道を選択している訳です。

誕生後の子育てを自分たちで行うのならまだしも、遺伝子だけは残ったと勘違いの安堵感に溺れて、子育てを他人やテレビ、ゲーム等に任せてしまっては、元も子もありません。

子供は、組み合わせで出来た『別人格の別人』なのですから・・・。

親子の関係は、同じ環境・生活を共有することで「地球生命体細胞群の一塊である自分を健康にコントロールする術を伝えて行くこと」にその極みがあるのです。

また、歴史上では血統思想は、集団の意思統一のための「思いの納得法」として使われて来ました。
『同類同士の争いに、思いの上でのお墨付きを与える手段』になっていた訳です。

その集団の権力者にとっては、「とても都合の良い、自慰生活等の自己の思いの実現補助手段」です。
権力の中枢から遠いほど、メリットは少なく、場合によっては労働力や財産等を搾取され、争い時には命さえ犠牲にさせられることも少なくないのです。

同じ血統だと主張する集団のメリットを確保する為に、同胞である他の人類の生命財産が犠牲になった事例は、枚挙に暇がありません。

血統思想も「思いの納得法であり、現実離れを促がす害のある情報だ」と言わざるを得ません。

現代では、現実的なメリットは無く、現実離れしている弊害はとても大きなものです。

民族思想も人種思想も血統思想の延長線です。

科学的には、同じ人類であるという部分が圧倒的に大きく、他の差は個人差と比べても大差の無いものです。
つまり、血統・民族・人種を気にするのなら、個人差も気にしなくては整合性が取れません。

現状の経済原則も酷いものです。

地球の財産を自分の物だと主張し、その論理を無理強いする為に同じ同胞である他の人類を武器で殺し、脅して成り立っているものの上に、「思いによる貨幣価値を上乗せしている」のですから・・・。

例えば、ダイアモンドとは炭素の塊ですが、それに「思いの価値を上乗せして、とんでもない位高い値段を付けている」のは、一部の人々の策略です。

別に硬度の高い炭素の塊を所有していたとしても、「その人の、地球生命体細胞群の健康な存続に対する貢献度が上がるわけでもありません」。

ところが、この策略で大儲けした集団は、貨幣経済に一定の力を預けている人間社会では「大きな力が持ててしまう」のです。

しかも資本主義とは、大量の資金を持つ者が益々有利・優位になるシステムですから、『人々の思いを操って、大量の資金を保持してしまえば、自分たちの思いを実現することも容易』です。

現状の人間社会で大量の資金を保持している人々の思いとは、何でしょうか?
早急に、正確な検証が必要でしょう。

その力が地球生命体細胞群の健康な存続に活かされるのなら、多少は結構なことですが、少なくとも過去においては違っていたようです。

不健康な思いなら、そのような方々に余りある立場から退いて頂くか、そんな思いの実現を容易にしているシステム自体考え直した方が人類の為です。

美術品などの価値も同様です。

歴史文化的に価値がある物事とは、「実体として、地球生命体細胞群の健康な存続に対して、どの程度貢献があったのか?」で、相応の価値がある物事なら、「個人所有ではなく、皆が見たり聞いたりすることが出来るように展示したりする」のが妥当でしょう。

大量の金銭・財産を保持していても、それが地球生命体細胞群の健康な存続に活かされていないばかりか、特定の人々の自慰のために大量のエネルギー・資源を浪費することに使われているとしたら・・・、そのような物事を放置している人類の自虐性は、救いようがありません。

優劣思想も同じです。

そもそも、他人や人間社会を上手く騙して、ずうずうしく、自分の下へ「他人から財産・労働力等を搾取して集めよう」とする人間など、優秀である訳がありません。
そんな連中を優遇する人間社会は、重篤な病気です。

ましてや、特定の試験に受かったからとか、特定の家庭の育ちだからだとか、特定の民族だからだとか、・・・そんな「思いの上での要素でしかない物事」が、実際の人の優劣に直結するわけもありません。

ところが、自分もわからない人々が多く、現状の人間社会もそんな人たちにメリットを与えてしまう構造になっていますから、自慰物質・自慰環境欲しさに、自虐的な欲動実現の為、「頑張ってしまう」人たちも、未だに数多くいます。

実体としては、病気で状態が悪く劣っているのに、優秀だなんて、オカシナ話です。

いじめの問題も、実体としては「無意識のストレスがもたらす不健康な自己確認行為」です。

ところが、学校で教壇に立っているにもかかわらず、善悪もわからない、不健康な行為も止められない教師が多いのですから、困ったものです。

そもそも「善悪とは、個々の細胞の働きに基づいた感覚を、意識的に表現した」物事です。

人間の体内には、大まかに分けて4種類の細胞が存在しています。

「生きている正常な細胞・生きている傷ついた細胞・死んでしまった細胞・癌化したりしている異常な細胞」です。

生きている正常な細胞の働きを善、死んでしまった細胞や癌化したりしている異常な細胞の働きを悪とすると、実際の人間社会の善悪の価値観と相似性が見出せます。

人間の生活で重要なことは「健康」です。

つまり、「善悪とは健康問題」なのです。

人間社会も健康であることのに越したことはありません。

それなのに現状は、まるで癌細胞のように他人や地球の財産を奪い取っている消費の大きな人たちが蔓延り、傷ついた同胞さえ十分に助けようとしない人間社会ですから、まるで末期癌の患者のようです。おまけに、死んだ細胞のように動ず現状を無視する人たちも多いのですから・・・。

このままの状態を続けるのなら、人類の近未来は推して知るべし!!!

体内で誕生してくる細胞の感じが「愛」です。
愛とは新たな同胞を認める感情で、その為になら圧迫もストレスにはなりません。

癌細胞に対する感じが「憎」です。
略奪に奔る異常細胞の行為は、本当に憎憎しいものです。

「慰め」とは癌細胞に対する愛で、略奪する相手も生きているのだから・・・、とその行為を認め続けていれば、元も子も無くなってしまいます。

健康な身体なら、異常細胞は免疫力により駆逐されます。また、免疫力を養う為には異常細胞も必要です。

ですから、全ての異常細胞を葬り去る必要などありません。

重要なことは「健康を保てるか?どうか?」です。

自分の無意識部分を知れば、善悪愛憎も健康問題もわかりやすいものです。

健康な学校の先生なら、教えられない方が不思議です。

自己の基本を知り、善悪愛憎の基本を理解し、健康問題を考えるのなら、いじめもずっと少なくなるでしょう。
人間社会も健康を取り戻すことが簡単になって行くでしょう。

一日も早く、人類が自虐性から抜け出すことを願って止みません。

地球生命体細胞群は、存続の為、経過時間・環境によりその生命形態を変えて来ました。
身体的構築度で経過時間・環境に対応して来た恐竜時代を経て、より詳しく環境を理解することが『可能な、頭脳を持つ』哺乳類、そして人類へとその主導権を譲って来ました。

存続の為に、それが必要と『感じている』からです。

地球上を埋め尽くした地球生命体細胞群は、この先新たな自分たちの住処を増やさない限り、より多くの細胞数を維持できないと『感じて』います。
細胞数を増やして行くことが出来ないとは、『地球生命体細胞群にとって構築度上昇の限界を向かえる』ということであり、それは、『存続の限界を向かえる』ことと同じです。

この事実を知るなら、宇宙開発が人類の重要な役目であることに疑いの余地は無いでしょう。

多大なエネルギーを浪費して、自慰に明け暮れたり、同類同士で足の引っ張り合いや潰しあいを行っている場合じゃないのですけれども・・・。
知らない、わかりたくないことは、悪として、思いの上で自分の外に追い出してしまう、「思いの奴隷」から、多くの人たちが、一刻も早く抜け出すことが望まれています。

現状でも、大量殺戮兵器が、個人もしくは小さな組織レベルでも、保持可能になっています。

多くの人々が理解できる『現実把握教育・情報の確かで急速な流布』と『現実に則した、事実を知れば、どこの誰でも認めざるを得ない善悪愛憎等の倫理観』が無ければ、節操の無い乱世へと突入してしまうかも知れません。
「地獄の廃墟」が出来てしまうかも知れません。

近未来の人類が得るのは、地獄か?天国か?・・・

人類存続の為に、兵器を用いた創造の為の破壊・・・、行いたくないものです。

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必修科目問題・・・。

受験に出ないのだから・・・、と一部必修科目を省いた学校多数あることが表ざたになった。生徒にしてみれば、駆け込み補填授業無しには卒業が出来ないことになってしまうので、大変迷惑な話だ。

受験という「現状適応」が、より有利になるように配慮した学校・・・。現在の教育の方向性・目的意識が顕になった一例だ。

まともな人間が育つのか?益々疑問は大きくなる。

そもそも、学校で教えるべきことなのに抜けている「重要なこと」がある。

「自分を知り健康的にコントロールする為の基本知識」だ。この基本が無いから、頭デッカチな自虐的秀才バカが量産され続ける。人間社会の健康も害われ、現状ではかなり重篤な症状を呈している。

善悪愛憎さえわからない病的な人々は、いったい自分の人生で何がやりたいのか?

大量の資源・エネルギーを浪費する自慰生活か?

自分さえわからない状態の自己の思いに忠実に、他人をコントロールして自分がコントロール出来ていないことを誤魔化そうとする権力志向の現実逃避生活か?

反対に、ちゃんと自己を知りコントロールする為に必要な知識を教えれば、倫理・世界史・美術などの必須科目云々では無く、「自分で人間社会の為に何が必要か?何が出来るのか?を判断し、自分で学習が必要なら積み重ねていくようになる」から、お偉いお役所が必須科目をご指定しても出来ない健康な人間社会の構築に大いに役立つ人間が、量産される筈だ。

受験競争に対するおズルを許さないことよりも、学校で何を教えるべきなのか?もっと良く考える事が人間社会のためには、より重要だ。(自己を知りコントロールする為の知識については、過去の記事とホームページをご参照下さい。)

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全ては筋書き通り進んでいる・・・。

安倍政権誕生後の補欠選挙、予定通り自民の2勝。日本人を自国の兵隊の如く戦地に赴かせる為には「アメリカ傀儡政権」が必要で、岸・佐藤の流れの人脈付きの安倍政権には頑張ってもらわないと予定が狂う。

どうせこのままなら、食料環境問題で人類は行き詰る。その時に間引く予定の人間たちと戦わせる優秀な先兵は少しでも多くしておきたいものだ。自分たちの手は汚さず、表面的な悪者にもならず・・・メリットの多くは独り占め・・・。

間引きの戦争が起こせなくては予定が狂う。人類皆で苦しんで滅亡しましょうなんて、冗談じゃない。

そこで先ず、核戦争のデータが必要になる。データを取るなら自国から遠い極東だ。

予定通り共産圏を崩壊に追い込み、割り切りの遅い東洋人たちの場所に共産圏を残した。さらにその中の小国で予定通りの場所にある北朝鮮を追い込み、「核武装の時間を与え技術を流させ」、極東核危機を造り出した。

核危機で大国を引き剥がし、北朝鮮を孤立化させた。早期収拾小規模地域核実験の舞台装置の準備は、ほぼ完了。

現実的には、これ以上北朝鮮に時間を与えることは、日本・韓国の危機に直結する。テロリストに流れる核・ミサイルなどは少数に過ぎないから、本当は日韓の危機の方がクローズアップされるべきだ。ところが、アメリカ傀儡政権の圧力でマスコミの論調も方向性が規制されている。曰く「危機を煽るな!」

実はこれこそ重大な危機で、このまま予定通り事が進むと「朝鮮半島と日本列島は核戦争実験場と化す」可能性が益々大きくなってしまう。

少数の核・ミサイルでもテロリストに渡れば、アメリカ・ヨーロッパ・イスラエル等に核の脅威が及ぶ。それは、某国少数大権力集団からすれば、予定外の事態を招く可能性がある避けたい物事だ。しかし、多数の核ミサイルが朝鮮半島や日本列島に落ちても、核戦争の地域実験が出来ると共に、自国から遠い地球の一部で「愚かな東洋人たちがほんの少し犠牲になるだけ」だ。そしてそれは、「偉大な神の預言の一部」だ。

本気で北朝鮮の核問題を解決する気があるのなら、中国に北朝鮮北部の鉱物資源地域を取ってよいとお墨付きを与え、ロシアにも北朝鮮北部の一部海岸地域を取ってよいとお墨付きを与え、さっさと宣戦布告すると「同時」にスティルス爆撃機とトマホークで一気にミサイル基地や前線基地を爆撃すれば、核ミサイルの準備が不十分な現状なら、「イラン・イラク等とは違いあっと言う間に戦争は終わる」。

ところが、北朝鮮の核ミサイルが準備出来てしまうと「北朝鮮要人と中国人の一部との裏取引が可能となり、ある日突然、日韓に大量の核ミサイルが降ってくる」可能性が大きくなってしまう。そしてそれは、極東核戦争実験になる。

一刻も早く核ミサイルを準備完了したい北朝鮮。北京オリンピック・上海万博を祝勝ムードで行いたい中国。自国から遠い朝鮮半島で核戦争の実験を行なおうと計画している某国少数大権力者集団。思惑が重なる年末~2007年は要注意時期だ。

北朝鮮首脳部が本当に頭が良く、某国少数大権力者集団や中華アジアの覇者集団の策略とそれらの集団からのご褒美等より人類を愛し、「解放・改革」を宣言し亡命すれば、醜悪な事態は避けられ功績非常にビッグなのだが・・・。

このまま行くと勝利するのがどのような集団になるにせよ、かなりの犠牲者を出さざるを得ない・・・。

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忘れてはいけない事・・・。

日米安保と一緒についてくるもの・・・アメリカ型の格差社会!・ハゲ鷹ファンドの取りたい放題!・・・

消費者金融二重金利問題も(マスコミよアメリカ資本も忘れるな・・・本当は、上限金利を引き上げて一本化したかったそうだ。)、昨今の雇用システム自由化による格差(より株主・経営者を有利にして少数の搾取する者と多数の搾取される者に二極化し、少人数の「思い」で人間社会を牛耳る構造を造りだしたいのだそうだ。)も、元を正せば米国の圧力。

日本独自の自衛力を持たない現状では、アメリカ様様のご意向には従うしか道は無い・・・。それなのに、確実に守って頂ける確約など無い。アメリカ軍事産業が「極東地域で核戦争を試したい。」と言った時、アメリカの指導者は日本人とアメリカ人の極親しい友人のどちらの意向を重要視するのだろうか?

日本人として採れる道は・・・。一つは「アメリカ人化」。勝ち組になり多大な資産と優位な立場と核シェルターを持てば、何とかしのげるかも・・・。もう一つは「核武装・もしくは核に匹敵する武器の保有」。それなのに、論議さえするな!と叫ぶアメリカ人のポチが多いのは、日本国内でもアメリカ人の策略的マインドコントロールが行き届いているから。もう一つは「新たなロジックでアメリカ人まで心変わりさせる事」。ところがアメリカ国内では、情報コントロールが巧みで、多くの人間は宗教とハリウッド映画・ディズニー等で現実を見る目を曇らせられている。

日本を自立させないアメリカ・・・もしかすると実験場と化す日本と朝鮮半島・・・戦後政治家の責任は大きい。

例えどれ程のお金がかかっても、せめて全世界のテレビで広島・長崎の惨状を大々的に放映してもらう事ぐらいしないと・・・反核広告としてでも・・・。急げ、お金持ちと政治家・・・!!

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アメ・中の筋書きは、そして近未来の「現実」は・・・?

中さん北さんのところへ行って聞いた。「あとどの位で、核ミサイルの準備は調う?」北さん答えた。「もう少しかかる。時間稼ぎ頼む。」中さん、「ワカッタ。上手くアメ・ロ・韓・日騙す。チョッとだけ経済制裁的行動するが了解してくれ。」北さん、「了解。」

アメさんみんな知っていた。しかし黙って続けさせた。小型戦略核のテストの日、時間待ち・・・。・・・予定通り自分から遠い朝○半島で核戦争起こし、人類に核使用の恐ろしさとアメさんに刃向かうことの恐さを教えつつ、軍需産業大儲け!ナショナリズムもバッチリOK!(簡単なことさ、「思いに溺れる」人々を操ることなんて。支配者人脈を永続せしめ、人口問題まで先延ばし出来る。頭は生きているウチに使わなきゃな!フッフッフッフッ!)

以前、自国に核を落とされた日さんは、「自分だけ」で核の恐さを強く意識・意識・意識・・・。核のメリットを重要に考えている他の人たちは「本当の恐さ・おぞましさを知らない」のに・・・。そのアレルギーもあり自分の防衛までアメさん任せ・・・。アメさんの核で守ってもらえると「思って」いる。

ある日、北さんから中さんに連絡入った。「準備出来た!」

ミサイルいっぺんに飛ばすと同時に大脱出のイリュージョン!

アメさん直ぐに反撃した。防衛「テスト」も行った。戦略核も成功し、あっと言う間に北さん崩壊した。しかし、日さん韓さん火達磨になって大火傷・・・力激落ち・・・。

中さん言った。「最大限の努力はしたが、このような結果になり残念だ。(内心=ついにアジ○の覇者になったゾ!憎き日さんも蹴落とせたゾ!ハッハッハッ!)」

ロさん高見の見物、漁夫の利は・・・?

以上は最悪のシナリオです・・・。

アメさんが本当に日さんのみかたなら、工作活動と先制攻撃で北さんを崩壊させるでしょう。

中さんが本当に平和主義者なら、条約を破棄してでも強烈な経済制裁を下し「核ミサイル群完成の為の時間稼ぎを許さない」早期決着を促がすでしょう。

日さんが本当に大人なら、自分一人でも自分を守れる手段を持つでしょう。

果たして近未来の「現実」は・・・?

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ペットショップから来た猫様に・・・。

ウチの猫様、ペットショップからやって来た。ただし、「値段は付いていなかった」。

ある日、猫様抱き上げて、目を見て言った。

「立派なペットショップから、やって来た日のことを覚えていますか?」猫様、「何?」と目を輝かした。

「だけど、値段は付いていなかったんだよね~。(本当のことです。)」猫様、とっても寂しそうな目をした。

それでは・・・、「ペットショップで一番高かった猫なんだからね~。(もちろん嘘です。)」猫様、どことなく誇らしげな表情となる。

人間の言葉の意味わかるの??

それなら・・・、「ペットショップで売っていた一番高い猫だったんだからね~。人間の言葉を話せますって書いてあったんだから・・・。(大嘘です。)」猫様、困惑・・・。

「今どき人間の言葉話さない猫なんて珍しいのだから・・・!ど○えもんを見てごらん!三年経っても人間の言葉しゃべらなかったら、猫なべの具としてご利用下さいって書いてあったんだから・・・!(言うまでも無く、大嘘です。)」猫様、益々困惑・・・。

以前生活を共にしたことのあるセキセイインコは、「しゃべらなかったら焼き鳥ゾ!」と冗談交じりで言い続けたら、一ヶ月程で名前を言うようになったのですが・・・。

冗談の刺激で名前を言い出したセキセイインコ・・・、嘘に逃げ込まず本当を積み重ねれば、大嘘と思えることさえ現実のものに出来るのが人間・・・、果たして猫様は・・・???

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いじめの裏には・・・。

いじめの裏にあるもの・・・自分がわからない人々の「ストレスだらけの八つ当たり的『自己確認』行為」。・・・だから、自分を知って健康的にコントロールする術を教えるのが、本来の教師の役目。・・・ところが、教職員採用試験で「この基本的資質」を問われることは無い。結果として、教師不適格な人間が、金儲けや自慰=「不健康な自己確認行為の為に」教師となることさえ防げない。惨劇が多発するのも当然だ。

誰がこんな仕組みを造っているのか?優秀だと「思っている」自分さえろくに解らない迷い人の集団。(因みに至る所で小さな政府となれば、「優秀だと思っている少人数の集団で人間社会を大きくコントロールすることが可能で、それは人類自滅に直結する。」それを防ぐ為には「小さな政府なら、小さな権限」だが、そうなると政府の自己防衛の為の保持組織・法律・権限等も小さくせざるを得ないから、結果として「乱世」となってしまう。政府の自己防衛の為の組織・法律・権限等が大きければそれは「小さな政府で強大な権力」となり、少人数支配の典型的構造となってしまう。)

今回の資質の無い教師、懲戒免職が当然だろう。

このような行為を厳罰化しないと、選民思想や宗教などにあやつられた教師が、「特定ターゲットを優遇したり、特定ターゲットを蹴落としたりする」ことが可能になってしまうからだ。

教師の世界『も』、入り口でも現場でも『不健康』だ。このような状況下で、健康な子供が大量に育つ訳も無く、『不健康故に』人間社会は元気を無くす。それを『自慰や思いで騙したり、特定の誰かに都合よくコントロールしたりしよう』とすれば、益々不健康になる。『益々、人類の病気は重篤となり人類滅亡の日は近づく』。

数多くの人々が、自分本来の「現実」を自覚し、健康を取り戻し、『早く』目を覚ますことが望まれている。

昨今の人間社会、人類滅亡のカウントダウンを早めている・・・。

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北朝鮮問題で略奪文化が勝ち誇った後、もしくは・・・?

北朝鮮問題、何れにしても早期解決が望まれている。北京オリンピックがあるからだ。

願わくば、大きな犠牲を出さずに北朝鮮のみが崩壊し、朝鮮半島は統一され、北京オリンピックが祝勝ムードでイッパイになることだ。

しかし、それで終わり、万々歳では無い。

人類には、自分たちで造ってしまった自滅装置が二つある。「宗教・思想問題と環境問題」だ。

北朝鮮・イラン・イラクなどは「宗教・思想問題」だ。そして、その問題解決方法として人類が選択しているのが「どちらがより資金・資源・科学技術力が強いか?」という「力の論理」だ。

その力の論理での勝者になる為に「無節操な搾取・略奪競争が横行した結果、環境問題が発生」した。

労働力や資源等を搾取しその勝者となっている欧米社会や、資本主義社会で搾取側にいて勝ち誇っている人々が、「自分たちの行ってきた搾取・略奪行為は誤りだった」と涙を流して心から反省し、搾取略奪した物事をあるべき姿に戻す日が、それ程遠くない将来に来なければ「人類は滅亡」する。

「思いに溺れる生物など高等生物とは呼べない」からだ。高等生物になりきれなかった「危ない生物」には宇宙は無い。地球上でほとんど全ての人類は滅ぶ。・・・。

高等生物の基本=思いは思い・現実は現実。

この原則さえしっかりしていれば、例えば、代理母問題なども自明のこと。遺伝子とは、元になる組み合わせを提供したに過ぎない。組み合わせて出来た子の細胞は、父でも母でもない別人格の別人の細胞だ。その元を育てたのが代理母。代理母の母体内で代理母の母体の環境から影響を受けつつ、必要な生物的環境適応情報を選択目覚めさせ細胞数増やしたというのがその子の現実だ。元の細胞数よりも母体内で増やした細胞数の方が圧倒的に多い。

つまり、子供は誕生前に、三人の親を持つ。これが現実。

遺伝子だけに拘り、自己或いはパートナー保存の「思い」を強調するのは「思い」。

代理母を認めるのなら、三人の親を持つ子の為の法整備が先。

法整備が不十分なのに自分たちの「思いと資金にまかせて」「自分たちの思いの実現を図る行為」は、例えるのなら核実験と同じ。科学的に出来るからといって十分な社会的合意が無いまま事を進める論理は、まるで瀬戸際外交のよう。科学的に出来るからといって行って良いことなのか?どうか?もっと慎重に考えるべき。

遺伝子にしても、生後の情報にしても子供に残せるの物事は「記憶」。

同じ生物的環境適応因子を持っているのなら、「養子の子でも代理母の子でも実子でも、『実際に残せる記憶』は大同小異」。

ところが現実的思考・行動が十分に出来ず思いに振り回されると、遺伝子・遺伝子と拘わりがちになる。死後の世界と同じ。思いと現実は違う。遺伝子を残せたと安心し、子育てを他人やテレビなどに任せるのと、養子の子でも自分で育てるのでは後者の方がより多くの「伝えたい物事を残せる」もの。

代理母という「商業行為」を認めるのなら、臓器・血液の売買も認めるべき。そもそも、資本主義で勝手な商売が横行しているのに、健康には自信があるがお金があまり無い人がタマに血を売ったり、お金に困って臓器を売ったりするのを止める理由など無い。代理母や精子・卵子の売買が可能で血液・臓器はダメというのは宗教的な世界。

本来なら、生まれたときに環境・金銭の差など無いのが当たり前で、その後の地球生命体細胞群の存続の為の実働・努力・貢献等により差があるというのが、マトモな社会。ところが、親による環境格差が横行し、それが大きくその後の人生に影響する(衣「食」「住」・「接する人々」・「情報」が違うのだから当然)ような社会になっているから「遺伝、遺伝と思いに走って」しまう。

因みに遺伝子による環境適応の優劣だって「組み合わせの結果による」ものなのに・・・ねえ・・・組み合わせる前の片方が魅力的だったり、例え両方とも魅力的であっても組み合わせてみたら相殺したり違う要素が発芽したりして、「思惑」どおりには行かないものなのに・・・。

子宮をレンタルした夫婦は「臓器売買にも賛成」でなければ、自分たちだけのご都合主義。

お金があるのにねえ・・・。養子をもらいあまったお金で恵まれない地域の人々を助ければ、不遇な子供が一人(もしくは何人か)減り、何人もの命が救われるのに・・・。

果たして人類は真の高等生物として地球生命体細胞群の未来を末永く導くことが出来る存在なのか?それとも思いに溺れて自滅する愚かな存在なのか?自滅がはっきりしてしまうと、他の生命体を救う為、信じられない事が起こる・・・かも・・・。

早く地球生命体細胞群としての健康を取り戻せ!自覚を持て!人類!!!

カウントダウンは、また一つ進んでしまった。

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覚悟しておいた方が良いかも・・・?

アメリカ人人脈と韓国人人脈、中国人人脈のもたらす利権の下で赤子のようにコントロールされて来た日本の政界。日本独自の自衛も出来ず、拉致やその他の工作活動だって黙認してきたツケは安くない。アメリカ・韓国人人脈の安倍総理誕生後直ぐに「北朝鮮の祝砲=地下核実験」まで予定どおり撃たれ、後は、一部の間で既に筋書きが完成している朝鮮半島核戦争を待つばかり・・・?

日本人として覚悟しておかないとイケないのは、北朝鮮中核人物たちの「お土産付き中国亡命」。多数の核ミサイルを日本の6大都市と韓国の2大都市に打ち込んでしまえば、日韓の国力は激落ち必至で、中国たっての願いであるアジアの覇者は棚から牡丹餅式に手に入る。

少人数の贅沢安全生活と引き換えに、反日の思いは癒され中国共産党の利権安定が容易になるこのような筋書きが「あっても何の不思議もない」と想定対処しておくことをお薦めする。

元から北朝鮮中核人物たちは、どれ程多くの自国民が死のうと、どれ程多くの他国の人間に嫌われようと関係ない身勝手な独尊自慰主義。証拠隠滅の為、日本国内の出先機関組織や拉致被害者を核の炎で焼き尽くすことだって計画の内かも知れない。

核実験がショボかったのは「ミサイルに実装出来る重さのもので試したのか、実戦で使用する核物質を少しでも多く残しておく為」だったのかも知れない。今後大規模な核実験でも行えば、それだけ核物質は減ることだから反って安全かも?

おそらく核物質もミサイルの燃料も「計画遂行最低限」しか無いのだろう。北朝鮮中核での工作活動と早めの先制攻撃が、「お土産付きバックレ」を防ぐ手立てなのだが・・・。(核実験が失敗なら、北朝鮮国内での工作活動が今のところ成功していると思って間違いない。)

追記

久しぶりの投稿です。長い休稿中もご来訪頂いていた皆様「ありがとうございます!!!」

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