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英語教育に不安を感じる教師たち・・・。

小学校5年生から英語教育が始まる・・・となると、問題は、「英語を教える教師たち・・・」である。

筆者が高校生の頃は、英語の教師が、海外に行き、

「英語が通じた!!!」と喜んでいたぐらいだから、

島国日本国内で、まともに『使える』英語を教えられる教師など、今でも、少数だろう・・・。

ある意味では、不安になって当然だ・・・。

逆に見れば、『いい加減でも、日本国内では、滅多にバレない・・・』のが実態である。

英語にだって、方言や訛りがある。

何処の英語を基準とするのか???は、大きな問題だが、

英会話学校の教師だって、オージー訛りだったり、南部訛りだったり・・・するのだから、

『日本訛りでも、意思が正確に通じれば十分』だろう・・・。

日本語は、口先で発音するが、英語も多くの他の外国語も、もっと奥で発音する。

身体から音が出ている感じに近いので、筆者の知っている英語を話す人々は、皆、大声に聞こえる・・・。

狭い島国で、大声が流行るのも如何なものか・・・と思うが・・・。(ガッハッハ・・・)

せっかく英語を教えるのなら、言語と環境・文化は、切っても切れない関係であることぐらいは、『十二分に教えるべき』だろう・・・。

『意思は通じるが、相手の文化も環境も理解していない・・・』という状態は、

『鯨を食うな!!!と、「自分たちの思いダケ」をデタラメに叫ぶ団体みたいで、みっともない』・・・。

ある程度の理解の上に、『その件は、科学的・現実的に違う・・・。』というスタンスが保てるように、導くのが本来の教育である・・・。

英語と共に、欧米文化・キリスト教等も、『客観的・科学的・現実的』に教えるべきである。

宗教は、科学的検証法が少なかった時代に、

『考え・思うことで納得出来るように、考え出され』、

『権力者たちの考え・思いを載せた、勝者の歴史の仮面を被り』、

『権力者たちの都合で編纂され、権力者たちの都合で利用されている』・・・というくらいの

客観的認識があれば、

『宗教自体に毒される』ことも無いだろう・・・。

外国の文化・環境を客観的に見ることで、自国の文化・環境も客観的に見ることが行い易くなる。

最低限の客観性が持てれば、振り込め詐欺や、霊感商法等の詐欺的事件の被害者等も激減するだろう・・・。

・・・・・・・。

あるフランスの村では、墓地が不足してしまったので、「埋葬されたければ、村の中で、死んではならない!」という村長命令まで出たらしい・・・。

死生観も科学・現実との整合性を検証するなら、墓の形も全く変化する。(関連記事をご参照ください。)

これから先、宇宙に住処を広げようとしている人類にとって、

『旧来の文化の再検証は、必須事項』である。

頭の柔らかい内から、

『現実との整合性の高い知識』を得て、

『現実との整合性の高い考えを持てるようになる』ことは、

重要だ。

『特定の誰かの都合を刷り込んで、「人類の未来を危うくする工作活動」に協力してはならない!!!』

・・・で、英語・・・、「英語だけ・・・なら、特定の誰かの都合では・・・!」

そんなモノに不安を感じる暇が在るのなら、

『生徒の未来を考えて欲しい!!!』

自らの英語の技量より、『ずっと、ずっと深刻な問題』だと思うが・・・!

・・・・・・・。

教師として出来ることを放棄した教師など、現状権力者のオコボレ頂戴わんわんに過ぎない。

立場のある者は、その立場を、『地球生命体細胞群の永続の為に、活かして』欲しい・・・。

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