素粒子論の世界では随分昔のお話しとその立証に対して、ノーベル物理学賞が贈呈される事になった。
ノーベル賞とは、随分後追いの世俗的お墨付きと賞金提供である実態が、またまた露わになった・・・。
その御めでたいニュース報道で、大きな問題があると筆者が感じたのは、「随分昔のお話しなのに、多くのニュースキャスター・解説者を始め、多くの一般国民も『???で平然』・・・」という実態である。
「素粒子など自分とは関係無い???」『訳も無く』この世界の物質の基本なのだ。
=誰だって自らの中に多数の素粒子を保持しているのである。
随分昔の素粒子論が???と言う事は、ある意味では自分の中身も???と同じなのだ。
・・・で、「自分の中身が???である事の自覚ぐらい持っていれば、まだマシ」なのだが、
多くの場合、出来の悪い不良の開き直りの如く「自覚なんて関係ない!!!」どころか、
「特定の上辺の物事がチョットばかり出来るから・・・と大威張りして、他人との比較で自分を確認しようとしている」のだから、
『人間社会が混乱するのも、ある意味当然』なのだ。
・・・「今回のニュースをキッカケにでも・・・、・・・もう少し、自分の実体に謙虚になるべきでは・・・」・・・。
・・・・・・・。
・・・で、素粒子が???と言う人の為に、基本中の基本を紹介すれば、
この世界が始まった事=この世界の時間がスタートした事(=だから時間は逆行しないのだ)だから、『全ての元は時間エネルギー(ダークエネルギー)』である。
一機に広がった時間エネルギーは、当然の如くムラを生じ、ムラの一部は、エネルギー粒となり基本物質(素粒子)化した。
そのエネルギー粒には、正転型と反転型があり、それが粒子と反粒子と言う訳だ。
粒子と反粒子が相殺すれば、エネルギー化して光(エネルギーピーク)となる。
光とはエネルギー(粒状化していない=質量の無い)なのである。
全ての物質・反物質は、時間エネルギーとずれ、転がされ続ける事によって存続可能なのだ。
物質は、時間エネルギーにより過去は現在から未来へと遅れながら運ばれているのである。(=タイムマシンなど出来る訳が無いのである。過去は既に存在せず、未来は未だ出来ていない・・・というのが実態だ。)
また時間エネルギーの流れと折り合いを付けられるエネルギー粒であれば存在可能なので、その形態は多種多様(今回話題の数種のクォークもその中の例だ)となる。
しかし、折り合いの良い・悪いで存続可能時間が違ったりするのだ。
エネルギー粒となれば、元の時間より遅れながら存在する事になるので、質量を生じる。
質量とは時間からの遅れなのである。
基底時間エネルギーより高エネルギー状態である部分に過ぎない光は、質量を生じていないので時間から遅れていない。
当然の如く、時間から遅れ、物質化する状況は、不特定に生じるので、最初から対称性などあまり期待出来ない。(物質形成場所の周囲には、反物質が形成され易い場が一定時間出来易い・・・程度の事はあるが・・・)
自然の摂理では、自然と余りが出来て、存在し続けてしまう粒子もしくは反粒子が誕生してしまうのだ。
しかし、人間が単純化して考えると、「対称で無くてはならない・・・」となる。
その事と現実が違うと指摘したのが、南部理論である。
「数学で説明する」とは、単純理論化に他ならない。
単純理論化で説明しようとすると、「クォーク」と名づけられた素粒子の種類が、3種類では、対称性の破れ(粒子と反粒子による完全相殺から抜け出した粒子が存在する事)が説明出来ない。
6種類にすれば説明可能である事を立証したのが、小林・益川理論という訳だ。
時間から遅れた物質は、質量を持つ分だけ集まり易く、集まれば集まるだけ周囲の時間エネルギーに対して連続的に負荷を加え続けるので、そのようなエネルギーがある程度以上大きくなれば時遅場(ダークマター)が出来る。
時遅場は、益々時遅場内の物質を集合させるのだ。・・・その極致がブラックホールである。ブラックホールの周囲には、非常に強い時遅場が形成されている。
ブラックホールとは、「時間から遅れながらも現宇宙空間で存在している超重質量物質とその超重質量物質がもたらす時遅場」だ。理論的には、光速=時間エネルギー速度の約2倍程度まで遅れなければ、現宇宙空間と一緒に存在し続ける筈である。
(将来的には、現宇宙空間で存在し続けている限り、宇宙の時間エネルギーが広がりきれば、宇宙時間の流れも緩くなり、相対的に時間とのズレが小さくなるので、軽質量化し、何れはエネルギー化して他の星や物質同様消滅するのがブラックホールである。)
質量を持った物質は、物質同士が集合するエネルギー(ポテンシャルエネルギー)と、時間エネルギーが物質同士を引き裂くエネルギー(エントロピーエネルギー)との折り合いで、その時点での存在状況が決まる。
慣性エネルギーのサポート等を得て、複数の素粒子が一定以上近づいてしまうと、時間エネルギーにより周囲から押さえつけられる力が、素粒子間の時間エネルギーが素粒子を引き離そうとする力を上回るので、
概ね安定的に集合したままとなる。・・・原子核の誕生だ。
安定的に集合した素粒子群である原子核は特定方向のエネルギーを時間エネルギー場に与え続ける事になるので、
エネルギー密度が適度に高ければ、時間エネルギー場との中和因子として電子生じ周囲に従え易い。
そのような原子核+電子の集まりで色々な物質が出来ているのは、多くの人々が良く知っている通りだ。
もちろん、自分=人間=地球生命体細胞群もその一例である。
生物と物質の違いは、宇宙の時間の流れ以外の時間の流れ=宇宙時間からのズレを自らの中で保持しているか?否か?だ。
専ら宇宙時間エネルギーの流れに身を委ねている状態になれば、死んでいる生物=物質である。
自らが保持出来ている宇宙時間からのズレを効率良く保持し続ける為には、自らの中に対する理解・把握が必需である。
『素粒子論では興味???でも、科学的長生き論に繋がるとなれば、興味深々・・・という方々も少なく無い筈』だ。
「宇宙の始まり」では『他人事』でも、「自分の長生き」なら他人事では無いと思える人々も少なく無いだろう・・・。
・・・どんなところからでも、自らの実体に興味を持ち、掘り下げる事は、自らの把握・安定に繋がるのだから、
「ずっと前の素粒子論さえも???でヨシとしてしまう風潮こそ大いに???」である。
・・・・・・・。
・・・「ノーベル賞は世俗的な物事・・・、一番嬉しいのは、自らの考えが自然の摂理と合っていた事・・・」と言う科学者魂には、筆者も、心の中で『大拍手』を送らせて頂いた。