先日NHKで、ヨーロッパの人たちが男性Y染色体を追いかけ、「最強のY染色体は、チンギスハーンの物だ。何故なら、その子孫は、約1600万人もいると推定出来るからだ・・・。」等々とやっていたお笑い番組(?)が在った・・・。
「Y染色体は、そのまま伝えられるから人類は、男性血統・・・」との、認識もあるようである・・・。
しかし、「Y染色体は、基本的に、そのまま伝えられて来たが故に、時と共に縮小化し、
何れは、消滅してしまうのでは・・・?」という認識もあるらしい・・・。
・・・ここで、多くの人は気付くと思う・・・。
「基本的にそのまま伝えられて来ている染色体」なら、
「元は、人類の元に集約される」のだから、
「最強のY染色体・・・」とやったり、「男性血統・・・」とやったりして、
『部分を過大評価する事は愚かである事』に・・・。
「チンギスハーンの染色体」というなら、「チンギスハーンが、変異後の初代」である事の証明が要る。
そして「変異の実質と優位性の関係」も立証しなくてはならない。
また、「その後受け継いだ人々から、変異で変わっている人々は、除くべき」である。
こう考えれば解るとおり、基本が同じで、時々変異を起こしている染色体の優位性など、
大同小異で、
客観的に見るなら、『同様』なのだ。
良く似ている同様の染色体を持つ人々が数多く存在する事=良く似ている同様の元を提供する人が数多くいた事であり、
「人類の文化の問題」を論ずる為に、特定の染色体を追うのなら、未だ解るが、
「どの染色体が最強だの・・・」、「男性血統だの・・・」と、
『自分たちが保持続けたい血統主義等という「考え・思いによる納得論」』の『サポートツール』として、
「科学的データを乱用する」のは、
笑い話なら妥当かも知れないが、
学問としては『明らかに不当』である。
『「特定の考え・思いによる納得」を維持したいが為に、
「科学的データや技術等」を乱用してしまっている
「愚行文化」の延長線に、
「侵略・略奪戦争」や
「代理出産等、遺伝子に拘る不妊治療等の問題」が
「生み出されている・・・」のだから、
少しは考えるべき』である・・・。
・・・・・・・。
子供と親は別人格の別人である。
そもそも、「卵子も精子も異物化されている」から対外に排出されているのだ。
元の人とは別の、異物化された卵子と精子を「更に組み合わせて」、
「その中から発芽因子を選択して」、
生まれているのが「新たな子供」である。
親が子供に遺伝子で伝えているのは、「主として生物的環境適応情報」なのだ。
だから、対紫外線適応情報である肌の色とか、その気候で有利に暮らせる鼻の高さや形等々、『姿形は似るのが当然』なのである。
しかし、例えば、言葉とか思想等々は、産まれた環境等々による後付けだから、
日本人の子でも中国で育てば、中国語を覚え、
日本流資本主義の親を持つ子供でも、外の環境から中国流共産主義を覚えたりする・・・のが実態なのだ。
生物的環境適応情報は、生物的環境適応情報として捉え、
生後の環境による影響は生後の環境による影響として捉えるのが、
学問だが、
生物的環境適応情報と生後の環境による影響を「特定の意思の下で繋げたがる」のが、
血統主義等、「考え・思いによる納得論」である。
・・・・・・・。
昨今の人類の精子は、元気が無いのだという・・・。
その原因となったのは、一夫一妻制という「生物的競争原理を排除した文化」だという・・・。
『生物的現実が指し示している人間社会のあるべき姿』は、
『科学・現実的お墨付きの無い不当な差別を撤廃した』、
『五性(「頭男・体男」、「頭女・体男」、「頭女・体女」、「頭男・体女」、「中性・・・性的に未成熟等」)制社会』であり、
『多夫多妻制社会
(もちろん、言うまでも無く、
「多夫多妻制」の前に、「代償欲求追求型文化」から「本質追求型文化」への「人類の精神的進化」が要る。
代償欲求追求型文化のまま、「多夫多妻制」にすれば、
「自己確認の代償欲求追及の為に異性を利用しようとする未熟な人々が乱交を繰り広げるダケ・・・」となる・・・のは、
「代償欲求追及型文化の思いを抱いたまま想像」すれば、誰にでも解る通りだ・・・。)
』である。
『多夫多妻制社会』は、「多くの人々の精神的成長が未だ不十分」だから「今すぐの実現は困難」でも、
『五性制社会』なら、脳の性別を科学的に検証出来る今日、
「やる気になれば、直ぐにでも出来る筈」だが・・・。
・・・・・・・。
五性制社会であれば、性転換手術で子孫を失うような自虐性から多くの人々が開放され、
多くの人々が、
「地球生命体細胞群の永続をもたらす為に、人類は多夫多妻制社会に向かう事になる」と心底から解っていれば、
遺伝子に拘った不妊治療などという自虐的な物事から開放される人々がメインになる。
人類とは高度に構築された地球生命体細胞群の一塊なのだから、
多くの人々が、本質に素直に、
特定の遺伝子を偏重するのでは無く、地球生命体細胞群としての永続を計れば、
現状の人間社会における数々の不要なトラブルも無くなるのだ。
人々を不幸や混乱に陥れているのは、
「人々の未熟な狭義の自分に拘り過ぎている考え・思い」である。
具体例を挙げるなら、
「丸ごと一人の死生観」であり、
「血統主義」であり、
「人種/民族支配主義」
等々である。
・・・・・・・。
しかし、「本質に素直な人間社会」への急速な転換は困難だろう・・・。
何事でも本質との整合性がある合理的目標が得られた後は、
『パラダイス=約束の地』へ辿り着けるように、
方向性を見失わず、
無理をせず、少しずつ、着実に「その方向に進めば良い」のである。
ただし、地球生命体細胞群の存続がキープ出来る速度で・・・。
(この意味からも「邪魔者は、多くの人々に影響を与えてしまう重要な立場から、『早々に排除されるべき』」である。)
・・・・・・・。
今までの人類の文化が、「代償欲求追及型の自虐・自慰文化」なら、
今後の人類の文化は、「本質追求型の快適状態構築文化」にするべきなのだ。
『代償欲求追及型文化のベースは、人の考え・思い』である。
元が『考え・思い』という
「十人十色が当たり前」で、
「必ずしも現実との整合性がとれている物事ばかりでは無い」ので、
人と人との間で『考え・思いの上での対立』が起き易い。
対立が起きた時、その収拾手段として用いられてきたのが、武力・金力等『力による他者支配』だ。
「代償欲求追及型文化には、戦乱が付き物」なのである。
『本質を追求し、事実・現実を共有する』なら、『人は、他人と同じ事実・現実の上に立つ』から、『争いも起き辛い』のだ。
しかし、その為には、相応の知力・精神力が要る。
精神的強さには、二つの方向性がある。
例えば、「自分が属する特定集団利権の維持に拘ったり、自分を即身仏にする」為等の精神的強さは、
『自分の考え・思いに「拘る」強さ』であり、
「自分の考え・思いと違う事実・現実を認め、事実・現実に忠実になる」為の精神的強さは、
『自分の考え・思いに「打ち勝つ」強さ』である。
どちらも、「自分のエネルギーを使う事」に違いは無いが、
『得られる結果は、正反対』なのだ。
『自分の考え・思いに拘る精神的強さを保持している人』は、
エネルギー的には、『事実・現実を認める精神的強さも保持している』のだ。
『精神的強さを発揮する「方向性を間違わなければ良い」』のである。
例えば、自らの子供に自分の思いを被せ、大量の財産や優位な立場等を相続させると共に、
「人間同士がいがみ合い自虐闘争を繰り広げ続ける人間社会を残す事」と、
自らや遺伝子情報等の実体に忠実に、過分な財産や立場等は人間社会に還元する事で、
「自らの子供も安心して成長出来る人間社会を残す事」の
「どちらが『子供の為になる』のか・・・?」は、
言うまでも無いだろう・・・。
『自分の未熟な思いの為に、子供たちを不幸に陥れるような「愚行は、もう止めるべき」』である。
自らの思いに拘る余り、人類滅亡を誘っているような人々は、
自分で自分をコントロールして方向性を改めないのなら、
地球生命体細胞群の存続の為に、駆逐されても仕方無い・・・。
・・・・・・・。
人類の「現実革命」は出来れば無血が好ましい。
しかし、これからも、人類の進化の邪魔をしている者たちが多過ぎて、
地球生命体細胞群の存続が危うくなってしまっている事態が、
続いてしまうのなら、
存続の為のタイムリミットの前に、
非常に大雑把な大ナタが振るわれてしまう激変があり得てしまう・・・。