「愚民化教育」の成果・・・。
愚民化教育では、『学ぶ者が興味を持てないように、教育指導要綱を作る』・・・。
結果として、『勉強する事のメリットを近くの環境で確認出来ていない、普通の人々』の多くは、
『勉強自体が嫌になる』・・・。
ところが、『高学歴のメリットで、親が、社会的立場や大枚を得ている家庭で育っている子供』は、違う。
『目の前に勉強する事の意味が見えている』から、多くの場合、愚民化情報でも「覚えて損は無い・・・」と、思うようになる。
親が高学歴のメリットを示していない状態で、子供に対し、「勉強!勉強!・・・」と叫んだところで、子供にとっては、単なるストレスと化し、益々やる気を殺がれる場合が多いのだから、
愚民化教育では、「学歴の家族間格差固定」が起こり易いのである。
愚民化教育を止めるとどうなるのか・・・?
例えば、基本的情報を学んだ後(小学校高学年或いは、中学程度から・・・)、
『数学・物理・化学・生物等は、具体的な物事から遡って(例えば、機械やゲーム等の設計や、株・金利計算等など・・・)』教え、
人間=自分の基本として『心理学や生物科学等』を教え、
現在の社会システムの基本として『法律や経済システム、国際関係等』を教え、
『歴史も現代から遡って』教えれば、
多くの人々が『現在ある自分でも興味のある物事』は『進んで勉強するようになる』のである。
それと共に、飲食物格差を是正すれば、
必然的に、「平和ボケ愚民」は減少し、『多くの国民が本来の力を発揮出来易くなるので、国力は増し、学歴家族間格差は解消され、適材適所社会へと近づいて行く』・・・。
・・・・・・・。
今時、「愚民化教育を続けよう・・・」としているのは、現状利権を維持したがっている「家族主義現状権力者や大金持ち=現状で有利な人々」や、
「日本の国力を削ぐ工作活動を行っている根っ子が外国の人々・・・」以外の何物でも無い・・・。
そんな者たちの「悪い思惑」に翻弄される事無く、
『子供たちの本来の能力を引き出す・・・のは、親や身近にいる人々の責務』である。
悪戯に、八つ当たり的に、「勉強しなさい!・・・」と言わず、
本来の情報・教育の道筋を利用したり・・・して『適性や興味を引き出せば良い』だけだ・・・。
飲食物・空気等も健康なものにし続けて・・・。
意図的に作られている『情報・飲食物格差』は、現状日本社会の大きな元凶である。
・・・・・・・。
歴史からちゃんと学ぶなら、誰でも解る事がある。
時代と共に、「神」や「強い指導者」などと言う「理想の親」を求める『精神的に未熟な人々』は、減り、
「権力は、事実・現実」に預け、「事実・現実を認め、他の人々と事実・現実を共有する」『精神的に成熟している人々』は、増えている。
『人間社会が向かう方向は明らか』である。
その歩みを、「現状権力者や大金持ちたちの家族主義等の思想信条により」意図的に停滞させられてしまっているから、『環境・エネルギー問題等が深刻になってしまっている』のだ。
『多くの人間が本来の能力を発揮出来れば、環境・エネルギー問題等の解決など容易』である。
「極一部を優遇し、多くの能力を封じ込めている現状人間社会の異常性は、人類滅亡が迫ってくる程」なのだ。
「メタボ立場」も「メタボ収入」も「メタボ仕事」も『悪(善悪についてよく解らない方々は、他の記事をご参照下さい)』である。
「事実・現実に権力を預ける」のなら、メタボ立場など要る訳が無い。
メタボ仕事など、「適性のある者で手分けして行うのが当然」だ。
メタボ立場やメタボ仕事が無くなれば、自動的にメタボ収入も解消される。
適材適所社会なら、事件・事故等も激減する。
産まれながらの環境格差も是正される。
『人間社会は「本来のパラダイス」となる』のである。
時代に逆行し、人に持たせる権力を大きくし、権力集中を行えば、権力争いとなり、確実に人類は滅亡する。
・・・「どちらが良いのか・・・?」は言うまでも無いだろう。
・・・・・・・。
権力を持ちたがる人の裏には、自己確認の代償欲求がある。
自分で自分をを確認する代わりに、他人を巻き込んで、他人に自分を認めさせたり、物・事による賞賛等で、自分を確認した気分に浸りたい・・・だけなのだ。
『生きている一人の人間は、常に入れ替わっている細胞群の一塊』である。
『常に状態が変わっているのだから、常に自分とこの時空との間で、確認行為を行わないと落ち着かないのが当然』だ。
その『自覚が有り、細胞の入れ替わりの実感があるのなら、例えば呼吸をしているだけ・・・でも、自己確認は実感出来ている』筈である。
ところが、頭の中の「自分の思い」という極小部に自らの意識を集中させてしまうと、「自分の身体の実感すら???」となり易い。
『自らの思い(多くの場合、他者からの情報でマインドコントロールされているのだが!)の奴隷』となれば、
自らの身体が送ってくる自己確認情報は魅力的に『思えず』、
自らの思いを認める他人を見る事や自らの思いに対する評価物/事による自己確認の代償の方が魅力的に『思えて』しまう。
そのような『思いの奴隷化した人々』にとっては、
人生=代償欲求の追及そして、実現・・・となり易く、そして、代償欲求の充足を自己実現と『思いたがる』・・・。
実際は、多くの人々を巻き込み、大量のエネルギー等を使用し、代償欲求の追及に奔走し、同様の思いを抱いている人から「思いの上での共感」や「賞賛の物・事」を与えられただけ・・・で、
客観的に見るなら、それは『大量の資源・エネルギーを使った』『特定・極少数の人類同士の慰めあい』に過ぎない・・・のだが・・・。
・・・で、そんな物事を行っていて、口先だけの「エコ・・・」では・・・。
愚民化教育の成果・・・そこにも在り在り???・・・さすが「総本山」なんちゃって・・・!
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