「愚民化教育」の成果・・・。

愚民化教育では、『学ぶ者が興味を持てないように、教育指導要綱を作る』・・・。

結果として、『勉強する事のメリットを近くの環境で確認出来ていない、普通の人々』の多くは、

『勉強自体が嫌になる』・・・。

ところが、『高学歴のメリットで、親が、社会的立場や大枚を得ている家庭で育っている子供』は、違う。

『目の前に勉強する事の意味が見えている』から、多くの場合、愚民化情報でも「覚えて損は無い・・・」と、思うようになる。

親が高学歴のメリットを示していない状態で、子供に対し、「勉強!勉強!・・・」と叫んだところで、子供にとっては、単なるストレスと化し、益々やる気を殺がれる場合が多いのだから、

愚民化教育では、「学歴の家族間格差固定」が起こり易いのである。

愚民化教育を止めるとどうなるのか・・・?

例えば、基本的情報を学んだ後(小学校高学年或いは、中学程度から・・・)、

『数学・物理・化学・生物等は、具体的な物事から遡って(例えば、機械やゲーム等の設計や、株・金利計算等など・・・)』教え、

人間=自分の基本として『心理学や生物科学等』を教え、

現在の社会システムの基本として『法律や経済システム、国際関係等』を教え、

『歴史も現代から遡って』教えれば、

多くの人々が『現在ある自分でも興味のある物事』は『進んで勉強するようになる』のである。

それと共に、飲食物格差を是正すれば、

必然的に、「平和ボケ愚民」は減少し、『多くの国民が本来の力を発揮出来易くなるので、国力は増し、学歴家族間格差は解消され、適材適所社会へと近づいて行く』・・・。

・・・・・・・。

今時、「愚民化教育を続けよう・・・」としているのは、現状利権を維持したがっている「家族主義現状権力者や大金持ち=現状で有利な人々」や、

「日本の国力を削ぐ工作活動を行っている根っ子が外国の人々・・・」以外の何物でも無い・・・。

そんな者たちの「悪い思惑」に翻弄される事無く、

『子供たちの本来の能力を引き出す・・・のは、親や身近にいる人々の責務』である。

悪戯に、八つ当たり的に、「勉強しなさい!・・・」と言わず、

本来の情報・教育の道筋を利用したり・・・して『適性や興味を引き出せば良い』だけだ・・・。

飲食物・空気等も健康なものにし続けて・・・。

意図的に作られている『情報・飲食物格差』は、現状日本社会の大きな元凶である。

・・・・・・・。

歴史からちゃんと学ぶなら、誰でも解る事がある。

時代と共に、「神」や「強い指導者」などと言う「理想の親」を求める『精神的に未熟な人々』は、減り、

「権力は、事実・現実」に預け、「事実・現実を認め、他の人々と事実・現実を共有する」『精神的に成熟している人々』は、増えている。

『人間社会が向かう方向は明らか』である。

その歩みを、「現状権力者や大金持ちたちの家族主義等の思想信条により」意図的に停滞させられてしまっているから、『環境・エネルギー問題等が深刻になってしまっている』のだ。

『多くの人間が本来の能力を発揮出来れば、環境・エネルギー問題等の解決など容易』である。

「極一部を優遇し、多くの能力を封じ込めている現状人間社会の異常性は、人類滅亡が迫ってくる程」なのだ。

「メタボ立場」も「メタボ収入」も「メタボ仕事」も『悪(善悪についてよく解らない方々は、他の記事をご参照下さい)』である。

「事実・現実に権力を預ける」のなら、メタボ立場など要る訳が無い。

メタボ仕事など、「適性のある者で手分けして行うのが当然」だ。

メタボ立場やメタボ仕事が無くなれば、自動的にメタボ収入も解消される。

適材適所社会なら、事件・事故等も激減する。

産まれながらの環境格差も是正される。

『人間社会は「本来のパラダイス」となる』のである。

時代に逆行し、人に持たせる権力を大きくし、権力集中を行えば、権力争いとなり、確実に人類は滅亡する。

・・・「どちらが良いのか・・・?」は言うまでも無いだろう。

・・・・・・・。

権力を持ちたがる人の裏には、自己確認の代償欲求がある。

自分で自分をを確認する代わりに、他人を巻き込んで、他人に自分を認めさせたり、物・事による賞賛等で、自分を確認した気分に浸りたい・・・だけなのだ。

『生きている一人の人間は、常に入れ替わっている細胞群の一塊』である。

『常に状態が変わっているのだから、常に自分とこの時空との間で、確認行為を行わないと落ち着かないのが当然』だ。

その『自覚が有り、細胞の入れ替わりの実感があるのなら、例えば呼吸をしているだけ・・・でも、自己確認は実感出来ている』筈である。

ところが、頭の中の「自分の思い」という極小部に自らの意識を集中させてしまうと、「自分の身体の実感すら???」となり易い。

『自らの思い(多くの場合、他者からの情報でマインドコントロールされているのだが!)の奴隷』となれば、

自らの身体が送ってくる自己確認情報は魅力的に『思えず』、

自らの思いを認める他人を見る事や自らの思いに対する評価物/事による自己確認の代償の方が魅力的に『思えて』しまう。

そのような『思いの奴隷化した人々』にとっては、

人生=代償欲求の追及そして、実現・・・となり易く、そして、代償欲求の充足を自己実現と『思いたがる』・・・。

実際は、多くの人々を巻き込み、大量のエネルギー等を使用し、代償欲求の追及に奔走し、同様の思いを抱いている人から「思いの上での共感」や「賞賛の物・事」を与えられただけ・・・で、

客観的に見るなら、それは『大量の資源・エネルギーを使った』『特定・極少数の人類同士の慰めあい』に過ぎない・・・のだが・・・。

・・・で、そんな物事を行っていて、口先だけの「エコ・・・」では・・・。

愚民化教育の成果・・・そこにも在り在り???・・・さすが「総本山」なんちゃって・・・!

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歴史教育の重大な誤り・・・。

現在の歴史教育は、「分断化された史料・人物偏重」教育である。だから、誰々の指揮の下、戦争等があった事は「覚え」られても、その当時の人々が、『何故戦争を起こしてしまったのか・・・?』が「解らない」人々で溢れてしまう・・・。

或いは、「当時の社会状況からして、それが当然だったのだ・・・」等と、『上辺での納得』を得て、『解ったつもりになってしまう』人々で、溢れてしまう・・・。

そんな状況だから、人類は『未だに』、「戦争やその同類である経済戦争も十分に抑止出来ない」のだ。

歴史から学ぶ上で重要な事がある。

『当時の人々が、理解・把握出来、コントロール出来ていた物事を検証する事』である。

それと同時に、『理解・把握・コントロールと人間心理の関係も重要』だ。

人間とは、『事実・現実を理解・把握し、共にある事で落ち着き、コントロールする事で満足する』生物である。

『自分の中の事実・現実を理解・把握出来なければ、不満・不安を抱え』、

『自分の中の事実・現実が理解・把握出来ずに、自分をコントロール出来ないと、その代わりに「他人をコントロールして」満足してしまおう・・・』とする生き物なのである。

理解・把握・コントロール出来ていない物事に対し、「結論を求めよう」とすれば、必然的に『考え・思いの対決』となる。

自分たちが抱いている考え・思いが正しいと、他の考え・思いを抱いている人々との争いとなり続ければ、『行き着く先は戦争』である。

『戦争とは何か?』と言えば、『戦争=人殺しに使える、自分たちが理解・把握・コントロール出来ている物事の命がけの比べあい』である。

つまり、『理解・把握・コントロール力を、命がけで競う』のが『戦争』なのだ。

元となっている考え・思いの対立では、勝負がつけられないので、『代わりに』殺人技術・戦略等を競うのが、戦争である。

『考え・思いの対立』では、『考え・思いは、考え・思いに過ぎず、十人十色が当たり前』で、

『結論が得られない』。

そこで、『考え・思いの対立に結論を追求したら』、『戦争が生じた』のが人類の歴史である。

・・・・・・・。

歴史から学ぶべき一番重要な事は、『考え・思いの対立に結論を追求してはならない』という事であろう・・・。

『考え・思いは、十人十色』で良いのである。

科学的立証手段が発達して来た今日なら、

対立する物事に対し、先ず、『考え・思いなのか?否か?』を検証し、

『考え・思いなら、十人十色・・・と結論を求めない』事である。

対立する物事が『事実・現実に基づいた物事なら、それを科学的に立証すれば良い』。

『立証されるまでは、保留が正解である(或いは、科学的立証の積み重ねで推定出来ている方向へ向かうようにすれば良い)』。

・・・・・・・。

数十年前に核爆弾まで持つ技術力を得てしまった(=理解・把握・コントロール出来る物事を利用して、破壊兵器を作れば、数十年前の時点で核爆弾までも作れるようになってしまた)人類には、『もはや、本格的な戦争は許されていない』。

だから、歴史は、タダ史実等を覚えるのでは無く、歴史からちゃんと学ばなくてはならない。

ところが、現状の歴史教育では、史実を覚えさせられると共に、その時代の有名人を覚えさせられている。

戦国時代の武将同様、現実に対する理解・把握・コントロールが不十分で、精神的に未熟であるが故に『者・物・事に頼りたい人々の思惑』で、

有名人を覚えさせられると、同様に『者・物・事に頼りたい人々』は、戦の「勝者は、英雄」で、「敗者は悪者」・・・と処理してしまい易いばかりでは無く、

『覚えた者・物・事』に『頼る事が当然だ・・・と勘違いしてしまい易くなってしまう』・・・。

曰く、「戦争は、避けられない・・・」

曰く、「○○は偉大な人だ・・・」「○○のような『勝ち残る』人になりたい・・・」

・・・・・・・。

実体・実態として見れば、戦の勝者の将も敗者の将も、『科学的検証手段が乏しかった時代に、「考え・思いによる納得」を「命がけで競い合ってしまった」「未熟な時代の未熟な人々」』である。

それを「英雄視したり、目標にしたり・・・」していれば、『同様の惨劇を繰り返し易くなってしまう』のは当然である。

だから、歴史上の有名人を覚えさせるのなら、同時に、上記のようなその実体・実態も教えるべきなのだ。

ちゃんと、『古の人々は、未熟な時代ゆえに、戦争を行ってしまった。現在は、真実を追究して来た人々の多大な遺産による「数多くの科学的立証方法及びコントロール方法」がある。今後も、それら有益な資産を積み上げると共に、成熟していく人間社会を築かなくては、人類に未来は無い・・・。』等と教えるべきである。

また、『物事を作った人と、作らせた人は明確に分けなくてはならない』。

作らせた人は、『未熟な時代ゆえに人間が持てていた余りある権力』ゆえに、『自分の考え・思いや大衆の欲求に沿った物事』を『作らせる事』が可能だったのであり、

実際に作る『実務を行った』のは、多くの場合、『大衆』である。

権力者が自分の考え・思いに基づいて行わせた物事の責任は、独裁的支配が可能だった古の時代では、多くの場合、当然、「行わせた権力者」にある。

例えば、「秀吉の命令による朝鮮への出兵」等は、当時の武士たちの職業需要という側面があるが、『戦争を仕掛ける先を選んだのは秀吉』である。

職業安定という面からすれば、転職保証でも事足りた筈だが、『支配地域拡大の欲求』は、『独裁者的立場にあった秀吉にも大きくあった』筈である。

だから、『明らかに無謀な戦争を仕掛ける道を選んだ』将等は、事実どおり『未熟で、足りなかった』と教えるべきなのだ。それを象徴的英雄と教えるからオカシナ事になる・・・。

同時に、血統等の科学的実体・実態を教え、親子が別人格の別人であるという現実を理解するなら、

『旧来からの血統利権には、正当性など無く、正当性の無い物事を維持しようとすれば、それは争いの種になる』事ぐらいは、多くの人々が理解出来る筈である。

『歴史上の勝者は、偉人でも無く、その勝者からの血統利権には正当性も無い・・・というのが現実』である。

ちゃんと歴史から、学ぶなら、『平均以上の相続は悪である』という事ぐらいは、多くの人々が理解出来る筈だ。

ところが、そのような『現実教育』を行ってしまうと、自分たちの利権が守れなくなってしまう・・・ので、現状権力者たちは、教育を歪め、『自分たちのご都合情報を覚えさせようとしている』・・・。

・・・「愚民政策」である。

その結果が、「事実・現実に権力を預けず、人が権力を持つ事に疑問すら抱かない人々の量産」であり、

タダ「知っているから・・・」と、「有名人・タレント・代々候補等に投票してしまう人々」であり、

「産まれながらに偏在している金銭・環境的差別の温存」や、その事による「権力者等の候補者の選別」である。

支配層と被支配層に二分化され、しかも、その格差が増大されるような『中流層削減政策』がまかり通ってしまう裏には、「愚民政策の仕込み」がある。

『二極化すれば、戦争の歴史から解脱出来る訳も無く、

人類滅亡が現実』となってしまう・・・。

・・・・・・・。

ちゃんとした歴史情報・教育を行い、向かうべき方向を間違わない人々がメインとなる人間社会にしなくてはいけない。

歴史学者等も、オコボレ頂戴わんわん等をやっている場合じゃないのである。

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タイムマシンと聖書の関係・・・。

現実としては、全ての物質は「過去から未来への時間の流れのエネルギーに転がされて続けているから存在出来ている」。

時間は過去から未来への一定方向へしか進まない。

過去は既に現在に運び去られていて、未来は未だ出来ていない。

だから、タイムマシンという想像の産物は、現実には出来得ない。

ところが、欧米社会では、聖書を元に多くの思想が発展してきた。

客観的に見れば、聖書とは、古のユダヤ人が記した「自分たちが支配権を持つことの正当性を訴えた」「思いの上での納得法」の書物に過ぎない。

内容を見ても、「この世の始まり」とか「この世の支配権を持つべき者の血統」とか「この世の支配権を持つことの正当性=神との契約」とか「それらをより強く納得する為の方法=数々の戒律」とか「起こるべき未来=血統支配の実現」などとなっている。

そして、それは、時代が新しくなると共に「新たなものが付け足され、古のものが省かれ=編纂されて」「思いによる納得」が崩れないように工夫されて来た。

問題になるのは、起こるべき「未来が神の意思として預言されている」という部分である。

現実には、未来は未定だが、聖書を元にする考え方に沿えば「未来が決まっていないと困る」。

神の意思が存在したのなら、血統支配も正当化し易いが、神の意思や神そのものの存在が怪しくなってしまうと、聖書に沿った考えに「納得」出来なくなる。

聖書を読むと、出てくる神さまは、随分と人間的であることにも気づくと思う。

捧げ物を要求したり、ねたみ易かったり・・・、まるで「権力者の精神構造そのもの」だ。

ところが、長きに亘って聖書により治世まで行ってきた歴史があるので、「今更、実体通りのことを、素直に認める」のには抵抗がある人々が山ほどいる。

結果として、無くては困る物事を「創造」する。

実際には出来ない場合も多いが・・・。

聖書預言と思える物事は、人々の潜在的願望により造られて来た物事である場合が多い。

例えば、イスラエル建国などは、その象徴だろう。

実際は、血統に大きな意味を持たせると「人間社会は混乱する」。

科学的に見れば、「人類」という種の要素と、細胞の一塊である「個人という実体」、以外の要素では、個人差の方が大きい。

だから、本来なら、人種とか、民族とか、血統とか、家族とか・・・中間の要素に、「個人差以上の価値を与えてはいけない」。

現実とのズレは、ストレスを生み、ズレのある物事をそのまま正当化しようとすると数々の問題が出来てしまうものなのだ。

聖書預言が実在しないと困る人々や、現実逃避したい人々は、タイムマシンが無いと困るだろうが、出来得ない物は出来得ない。

タイムトラベラー話、元の国の宗教・思想等の実体を考えるきっかけになれば、良いのだけれども・・・。

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能力・・・。

格差社会の言い訳として、「能力がある者が、より多くの富を得るのは当然だ」というものがある。

能力の中身が問題だ。

本当に能力のある政治家が治世しているのなら、「年間3万人を超える自殺者が出たり、学校・職場でいじめが多発したり、学級崩壊が起きたり、治安が悪くなったり、不景気になったり・・・、しない」ものだ。

現状の日本では、能力=有名一流校に入学することと、基本的欠陥のある法律に違反しないようにお金を掻き集めこと、だ。

「自分で自分を健康にコントロールし、健康な人間社会を築く能力」では無いのだ。

結果として、多くの場合、能力があるとされる者は「自分の実体を見ないで済むように、現実逃避と自慰に励み」「自分で自分が健康にコントロール出来ていないことを誤魔化すために、他人を支配しよう」とするようになる。

そのような人々は、はっきり言えば、「本質的な病気」なのだ。

「自覚があれば、神経症」で「自覚が無ければ、精神病」だ。

病人を優遇し、病人に権力や多大な報酬を与える人間社会は、当然、病気になる。

病気で病んでいる人間社会の告発者が、年間3万人を超える自殺者であり、事件・事故・病気などの「現実問題」なのだ。

能力があると嘯く方々は、せめて「自分の実体」ぐらい「自覚」して頂きたい。

自分の実体に背く事無く、原寸大の自分が得るべき報酬で納得し、自らの病気の治療を行って頂きたい。

本当に、能力があるのなら・・・。

この問題は、人間=「高度に構築されている地球生命体細胞群の一塊」の資格にかかわる問題なのだ。

人間の資格を喪失した者は、近未来に抹消される。

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昔、戒律・・・、今、学歴・・・。

その昔(現在でも、旧来のままのスタイルを継承しているところは、現在でも・・・)、多くの宗教に厳しい戒律が存在していた。

「思いの納得法」である宗教では、「自虐的な確認行為を自らに課すこと」で、より強い納得心を得ることが出来る。

現在の受験の為の学問も、何処かの国の科挙も、構造は同じだ。

「実際の人間社会」で「実際の仕事に必要な知識」だけでは無く、試験に受かれば、後はホトンド用無し・・・、という知識を「他のことに優先して詰め込む」行為は、明らかに自虐的だ。

しかし、特に好きでもない、実用性の無い知識でも、「こんなことまで覚えたのだから・・・」と、「自分が他人より優位に立つこと」には納得心を与える。

多くの周囲の人間たちも、「苦行の姿に納得を見出し、或いは、納得を強いられ」権力を預けている。

ところが、「好きでもないことを、無理やり詰め込んだ、自虐的な人たち」は、「その報いを欲してしまう」ものだ。

「苦行を理由に自慰に励む」人々が大量生産されることとなる。

そんな人たちに権力を持たせても、健康な治世が行われる訳も無く、人間社会は乱れに乱れ、戦争の歴史を繰り返している。

宗教も法律も、戒律も学歴も・・・、「思いによる納得法」に過ぎない。

もっと「現実」に素直でなくては・・・。

自虐的な生物を、いつまでも「メビウスの帯の上」で歩かせている程、現世は甘くないのだ。

人類滅亡を避ける転換期を逃してはいけない。

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破滅の論理・構築の論理・・・。

自分とは、「約60兆とも言われている、地球生命体細胞群の一塊である」というのは、「現実」です。ですから、表現方法を変えることは出来ても、「実体」を変えることなど出来ません。

例えば、何々国人であるというのは、「現状」の人間社会で、人間たちが「思い」の上でラベルを貼り、集団的合意を作り出しているだけのことです。

「現実」を過小化し、「思い」を過大化すれば、何々国人と、そうでない人との間に、「大きな区別」が出来ます。

その区別を利用して、差別化すれば、「何々国人は、他の国の人々より優秀だから、他国の人々をリードする権利がある」というような、何々国人が、優位な「思い」も形成出来ます。

当然、それは、現実ではありません。人間の優秀さも、国の差より個人差が大きく、何を優秀とするのか?は、それぞれの「思いの世界」です。実体とは、程遠いものです。

「現実」より「思い」を優先して実行すると、「現実からの乖離」が起こります。

思いの上で、現実を無視もしくは軽視していても、実際に現実は存在しています。

思いを重視するあまり現実を無くせば、実体として存在しなくなってしまいます。

現実に存在しながら、現実離れした思いに基づいて行動を起こすと、相反する物事をつなぎとめておくことが必要になります。実体としては、現実に負担をかけます。

個人個人では、無意識のうちに不安・不満が生じ、その不安・不満を「現実離れした思いを維持したまま」解消しよう=誤魔化そうとすると、往々にして、大仰な自慰を欲するようになってしまいます。

現実を軽視していますから、自慰の為に必要な物事を「現実の環境を破壊」したり、「同胞である他者」から搾取するという「自虐的な行為」を行っても、自虐性の自覚すら持ちづらいものです。

しかし、自虐的な行為は、益々、無意識のうちに不安・不満をもたらし、往々にして、更なる大仰な自慰を欲するようになってしまうものです。

破滅の論理に基づいて、人生を送ってしまいやすいのです。

そのような状態の人間こそ「悪魔に魂を売った人」と言うべきでしょう。

「現実離れの思い」の奴隷として、自分を動かせば、悪魔に魂を売ったようなものです。

実体としては、少数の人々が破滅したところで、大勢に影響ないのかも知れません。

しかし、大多数の人々や人間社会で大きな権力を持っている人々が、破滅の論理に基づいて人生を進め、人間社会を誘導していけば、人類滅亡です。

破滅の論理に基づいて、人生を進めている人々の多さに、冷や汗をかいているのは、筆者だけでは無いでしょう。

人生を誤らない基本は簡単です。

「思い」より「現実」を優先することです。

それなのに、テレビ・マスコミ・ゲーム・教育等でも、「現実から離れていく思いを扇動すること」が、仕事となり、そんな事を行っている人たちが報酬を得ているのですから・・・。

格差社会を造り、搾取する立場とされる立場を造り、お金持ちや権力者に名誉を与える構造は、益々現実離れを加速させます。

現実離れを加速させているのに、仕事となり、報酬を得ている人たちもいるのですから・・・。

はっきり言えば、「努力・実働による格差は、善。立場・権力・搾取による格差は、悪」です。

善は健康をもたらし、悪は不健康をもたらします。

不健康な人間社会では、多くの人間が元気も出ません。

実体としては、それは「仕事」ではなく「破壊行為」です。

報酬を与えている者が「悪魔に魂を売った状態の人間」でないのなら、報酬など得られるはずもありません。

人類を破滅させたくないのなら、「悪魔に魂を売った状態の人間」に力を与えてはなりません。

お金の論理に力を持たせている「現状の」人間社会で、資金や権力を保持している人々は、どのような状態の人々でしょうか?

一人一人が「現実に」健康になれば、「健康な大衆合意」が形成出来、不健康な悪魔的人々は必然的に力を失います。

健康な「天国」的人間社会を構築する基本は、一人一人の実体のある健康です。

現実離れした思いゆえの資格など、「百害あって一利無し」です。

実体のある資格は、「現実が与える」ものです。

今一度、自分に、人類(=地球生命体細胞群の高度に構築された一塊)としての資格があるのか?を、考え直してみることをお奨めします。

近未来において、実体として資格の無い者は、実際に存続が許されないのですから・・・。

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必修科目問題・・・。

受験に出ないのだから・・・、と一部必修科目を省いた学校多数あることが表ざたになった。生徒にしてみれば、駆け込み補填授業無しには卒業が出来ないことになってしまうので、大変迷惑な話だ。

受験という「現状適応」が、より有利になるように配慮した学校・・・。現在の教育の方向性・目的意識が顕になった一例だ。

まともな人間が育つのか?益々疑問は大きくなる。

そもそも、学校で教えるべきことなのに抜けている「重要なこと」がある。

「自分を知り健康的にコントロールする為の基本知識」だ。この基本が無いから、頭デッカチな自虐的秀才バカが量産され続ける。人間社会の健康も害われ、現状ではかなり重篤な症状を呈している。

善悪愛憎さえわからない病的な人々は、いったい自分の人生で何がやりたいのか?

大量の資源・エネルギーを浪費する自慰生活か?

自分さえわからない状態の自己の思いに忠実に、他人をコントロールして自分がコントロール出来ていないことを誤魔化そうとする権力志向の現実逃避生活か?

反対に、ちゃんと自己を知りコントロールする為に必要な知識を教えれば、倫理・世界史・美術などの必須科目云々では無く、「自分で人間社会の為に何が必要か?何が出来るのか?を判断し、自分で学習が必要なら積み重ねていくようになる」から、お偉いお役所が必須科目をご指定しても出来ない健康な人間社会の構築に大いに役立つ人間が、量産される筈だ。

受験競争に対するおズルを許さないことよりも、学校で何を教えるべきなのか?もっと良く考える事が人間社会のためには、より重要だ。(自己を知りコントロールする為の知識については、過去の記事とホームページをご参照下さい。)

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搾取が何故悪か?解らない人へ・・・。

努力による格差は、善であり、搾取による格差は、悪である。・・・それは、人間社会を健康なものに導く為の一つの重要な要素です。ところが、未だに搾取は悪だとわからない人たちも少なからずいるようです。

人類の歴史をふり返って見ましょう。

正に、武力による搾取の歴史です。だから、搾取は必然だなどと、短絡的に考えてしまう人たちがいます。しかし、それは、「現実が見れない重篤な病気状態」だから可能な事に過ぎません。

現実はどうなって来たのでしょうか?

武力による搾取の歴史を重ねてきた人類は、気が付けば、武力による搾取はもう出来ない状態となりました。何故なら、数十年も前に、原水爆という破壊兵器の実用化に成功してしまったからです。本気で武力を使えば、人類全体が危機的状況に置かれてしまうことは、もはや明白です。

武力による搾取は、武力の脅しによる搾取として姿を変えました。

その搾取構造を都合良く動かす為には、貨幣経済体系が有効です。通貨により、「価値の差をつければ」、それは、格差に直結しますから、簡単に搾取が出来ます。安い労働力を得、安い原材料を得る事が出来る「武力大国=科学技術大国」は、現状人間社会の勝ち組と言っても良いでしょう。

ところが・・・。

この搾取構造にも限界が近づいています。環境問題です。経済活動先進諸国が、自分たちの「思い」のままに「開発競争=搾取競争」を繰り広げて来た結果、地球環境は激変し、温暖化という「危険信号」を発するまでになってしまいました。

もはや、人類は「経済原則の搾取競争に明け暮れている場合では無い」のです。

このままの状態を続ければ=経済に重きを置き搾取を続ければ、数十年後には、人類同士、逃げ場の無いサバイバル競争を行わざるを得ない事になってしまうでしょう。つまり、戦争になる可能性が大です。

理性で核の使用を抑えられるのは、最初の内だけです。或いは、勝ち目の薄い方が、起死回生を狙って、イキナリ全面核攻撃!だってあり得ます。第二次世界大戦時の日本軍の真珠湾攻撃も、同じようなロジックですから、そのことを考えれば、少しは実感出来るのでは無いでしょうか?

この道を避ける為には、「搾取は悪である」という当たり前のことから、紐解いて行くことです。先進諸国が、搾取から共存への転換を行えば、戦乱の世は間違いなく避けられます。自慰に明け暮れている場合じゃないのです。

マイクロソフトのビルゲイツも引退を決め、慈善事業に専念する?意向のようですが、「吸い上げた異常な利益を還元するだけ」では、オカシナ状況は是正出来ません。合わせて、搾取を止めることです。

この程度の、人類として、人類を未来永劫存続させていく為に必要な知識は、人類なら当然、持っているべきでしょう。

搾取する為により有利な立場を争う競争社会など、近未来には、「そのままならば、人類滅亡を導くだけで、人類が存続していくのなら解消されていく物事」ですから、その為の現状適応優等生を量産する教育などは、「空しい」物事です。空しい物事の為に重要なエネルギー資源を使用することは、必要以上の自慰の為に無駄使いをするのと同じで、今すぐにでも止めるべき物事です。

学校でも家庭でも、空しい物事は止め、実感のある楽しい物事で満たしていけば、人間社会も健康になり、活力が出てくるものです。現状のような経済成長と金権自慰生活で、心底満足し、活力が出てくる人間など、自分さえわからない狂人以外の何者でもありません。狂人だけが元気で、普通の人々が不満だらけで現実逃避を追い求めているなんて・・・、何と言う自虐的な人間社会なのでしょう!何と言う自虐的なことをやっているのでしょう人類は・・・!

搾取で得た利益など、近未来には「無に帰して」しまいます。目を覚ますのは、今のうちなのですけれども・・・。

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優等生の正体・・・。

良い学校に行き、良い成績を収め、官僚・政治家・医師・弁護士・検事等の社会的立場がある良い仕事に就く・・・。それを優等生という人たちは多い。

そのような優等生の実体とは、「試験に出る事を『覚え』、試験に記入し」、「『覚えた』結果を披露することで、『同類』と認めてもらい、現在立場のある人々の手下となる職を得ている」というものに過ぎません。

優等生と普通の人、双方を知っている人たちは皆感じている・知っていることと思いますが、基本的能力に特段の差があるのでは無く、『覚えている情報』が違うだけなのです。

ですから、優等生になりたければ、「試験に出る」こと、「同類と認めてもらえる」ことを効率的に、集中的に覚えれば良い訳です。優等生になりたい人は、本人にその意思があるのですから、後は、優等生なら知ってる上記の情報源を、(家庭教師でも塾の教師でも、家族でも、・・・)周囲に持ち、健康・成長にとって重要な、食生活等について安全で効果的なものを確保すれば良い訳です。

そのような行為は、格差のある現状では、お金持ちは簡単ですが、一般庶民にとっては、「特別の努力」をしなければ出来にくいことです。

つまり、現状の人間社会は、競争社会ですが、不公平・不平等インチキ、ハンディキャップ競争社会なのです。

この不公平・不平等を解消してしまうと、『優等生のメリット』も無くなってしまいますから、「現状」社会の成功者たちが、不公平・不平等の解消を本気で行えるのか・・・?疑問に感じている人たちも多い筈です。

本から考えれば、自虐的な社会構造に身を委ねる必要など、本から無いのですから、もっと自由にイロイロな物事を判断し、実行して行けば良い訳です。

色々な情報がある現在でも、偏った知識を覚え実行しているだけの人たちを優等生として崇め祭っていることは、訳のわからない物事が多かった時代に、訳のわからない支配者を崇め祭っていた先人たちの状態以下の状態だと言ってもよいでしょう。

訳のわからない支配者同士、支配権を行い、多大な戦乱の犠牲を出した歴史上の事実から学ぶべきことは、そのような「事実をただ覚えること」では無く、「同じ過ちを繰り返さない」ことです。

優等生、正体見れば・・・偏人たち・・・。

他人に頼らず、自分で自分をコントロール・・・。

人間社会、権力は人に与えず、事実・現実に預ければ、・・・この世はとっくにパラダイス・・・。

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癌細胞って、大迷惑・・・。

他人との競争では、無く、自分を理解する競争でもすれば、良いのに・・・。

他人を蹴落とす競争では、無く、他人を理解する競争をすれば、良いのに・・・。

地球の上の癌細胞?それとも、健康な細胞?

自分で判定出来る基礎知識は、他の記事をご参照下さい・・・。

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