日本本来の文化とは・・・。

日本の文化と聞かれて、神道とか、仏教とか、天皇制とか、日本語とか、能とか、歌舞伎とか、相撲とか・・・、象徴的な『上辺の物事』を想起してしまっている方々は、『要注意』である。

何故なら、その様な状態の人々は、「上辺で操られてしまい易いから・・・」だ。

日本の文化の本質は、『新陳代謝が早く、事実・現実に即応し、実利をみんなで分かち合う事』である。

この様な「実体」だったから、例えば、鎖国後の黒船開国にも即応出来たのだ。

考えてみれば誰にでも解る。開国を迫られた日本が、「旧来の文化の上辺に過剰に拘る事だった」のなら、

日本の状態も、中国や韓国と何ら変わり無く、欧米列強の植民地への道をひたすら歩まされていた筈だ。

旧来の文化の上辺に拘る文化は、唯我独尊的心理を背景に、外圧による変化を嫌う。

「外圧による変化を嫌っている内に、武力・経済力・科学技術力等の力の差から植民地化・・・」というのが、その様な文化を抱き続けていた国の状態だった。

極東アジアで唯一、日本のみが欧米列強の植民地支配化に、いち早く対応・対抗出来た裏には、相応の文化が在る。

・・・・・・・。

例えば、

「仏教の本質」は、「真実の追究」である。

『釈迦(キリストでも同様だろう)が今の世に生きていたなら、「科学の道を選んでいる」筈』だ。

仏教の本質である真実の追求を怠り、旧来からの仏教の教え等の『上辺の』仏教文化へ過剰な程に執着している様では、衰退するのも当然だ。

その衰退を「権力者人脈を押さえ、利権維持を謀る」様な手法で、誤魔化そうとしている様な所には、『本当の宗教心』すら無い。

「そんな宗教団体の暴挙」を許容してしまっている一般市民は、「血税の無駄使い等を許容して、自らの生活を、自ら不利にしている様なもの」である。

そんな宗教団体の操り人形となってしまっている被害者も、そんな宗教団体の悪の手法を許容してしまっている一般市民も、一人でも少ない方が良い。

歴史・伝統文化遺産的に相応の意味のあるところは、歴史文化遺産として保護すれば良い。

上記の話しの本質は、神道でも、キリスト教でも、混合宗教でも、その他の宗教でも、一緒である。

『一人一人の民意の集大成が作り出す大衆合意により、新興宗教の優遇など直ちに止めさせるべき』である。

・・・・・・・。

お盆という文化により、多くの人々が同時期にそれぞれの祖先等の事に思いを寄せる慣習は、一つの文化の上辺に他ならない。

『日本文化の本質』である「早い新陳代謝と現実即応と共有」からも、『現代流の「細胞ごとの死生観に基づいた」、「祖先等の事に思いを寄せる」慣習の誕生&流行』が在って然るべきなのだが・・・。

何時まで経っても、旧来の「『現実離れしている』丸ごと一人の死生観」に基づいた「霊だの・・・、あの世だの・・・を、過剰な程に拘って『無理に維持している事』」は、

筆者たちの感覚では、『日本的では無い』。

日本が、朝鮮化・中国化してしまえば、極東アジア地域は、欧米列強に対抗出来ない位に後進する事になってしまうだろう。

そんな状態で、人口・食料・エネルギー・環境の問題が行き詰まれば、人類最終戦争となり、その勝者は、欧米側になる。

(『「人類最終戦争を防ぐ唯一無二の手段」は、

「全人類の精神文化の正常進化=現実化」である』。

『「科学的現実より、宗教・・・」だったり、

「丸ごと一人の死生観」で「血統家族主義・・・」等々では、

「最終戦争は防げない」』。

『この様な「現実把握」も「日本文化」がもたらしている』のだ。)

・・・・・・・。

「日本の人材やお金」等により、「朝鮮内の急速な近代化」や、「在り得ない補償転じて援助」を得て、「発展を得た」韓国。

それなのに、未だに、竹島を日本に返還しないばかりか、日韓併合を日本による植民地支配にすり替え、更なる補償まで要求しようと画策している韓国・・・。

はっきり言えば、「日本は、国レベルでは、韓国から感謝される事が有っても、非難される覚えは無い」。

中国やフィリピン等のアジア諸国や、南方諸国の様に、欧米列強を排除する目的も含めた「実際の戦闘行為」を、「日本が、実際にそれらの国の領土の中で行った国々」とは、事情が全く違う。

朝鮮内で起きた「同じ国の中の近代化に反抗する現北朝鮮に繋がる勢力との戦闘」には、「朝鮮人も進んで参加していた」のだ。

「北朝鮮の論理」を「日本や韓国内で蔓延させている裏」には、『北朝鮮人脈による「工作活動」』が在り、

連中の論理・実行行為では、

『「日本と北朝鮮」は、「本当は、未だに、戦争中」だが、それを「公言」すると、

「北朝鮮の論理に基づいた工作活動も行い辛くなる」ので、

日本は「戦争を知らない国」という「情報工作」で、「日本を埋め尽くしている」』のである。

『「韓国の反日」や、「日韓併合=日本による植民地支配」という「嘘」も、「同じ」』だ。

『「日本人」や「韓国人」なのに、「北朝鮮に操られている様」では、「本当に情けない」』。

『「真の日韓友好」は、「事実・現実をそのまま認め、北朝鮮の論理に操られなければ可能」である。

元々、日韓併合時から、「日本は、韓国と一緒に、発展するつもりだった」から、

「支配・占領政策では無く、韓国内の近代化&発展政策を行っていた」のだ。

「それに、反抗した」のが「北朝鮮に続く人脈」』なのである。

「北朝鮮の論理で動いている人脈」は、日本でも、韓国でも、『危ないし、迷惑』だ。『筆者もかなり迷惑している』。

ご用心。

日本政府も一般日本国民を守る意味からも、上記程度の情報は、広報しなければ!

韓国も、「北朝鮮による血統民族主義の策略」くらい見ぬかなきゃ!

『北朝鮮の味方をして、どうする???』

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お葬式は「商行為か?」宗教法人の優遇は「必要か?」・・・。

イオンのお布施料金公開定額制問題で浮上している「宗教とお金」の問題・・・。

「政治と金」問題同様、お金の問題になると『問題にされる側の反論も真剣』だ。

「お葬式は、商行為か?」という問題を考えるなら、「結婚式は?」を考えれば直ぐに判る。

言うまでも無く、『商行為であり、優遇税制など不要』だ。

「宗教法人の優遇税制はどうか・・・?」

伝統文化遺産的な宗教は保護されて然るべきである。

しかし、新興宗教までも優遇してもロクな結果はもたらさない。

明治維新の頃以前から、伝統文化的に存在していた宗教の代表的な一部は、伝統文化遺産的に保護する価値がある。

しかし、それ以降に増大した所謂新興宗教までも優遇した結果、「どの様な事態が実際に起きているのか・・・?」をみれば、

『「人の誕生・死が細胞ごとである事」が「科学的にも明らかになった以降」も、

「丸ごと一人の死生観」に基づいた「信者や一般市民に対する実質的なマインドコントロール」によって、

「利権の維持増大を図り」、

「利権を活かして数多くの学校や宗教集会施設等々まで作っている」』のだ。

その結果、『未だに多くの人々が「丸ごと一人の死生観」等の「現実離れした概念の中での生活を知らず知らずの内に選択させられてしまっている」』。

『その「実体」は、「新興宗教等の過剰優遇による、人間社会の精神文化の正常進化の邪魔」以外の何物でも無い』。

人の思いは十人十色で、人が自由な思いを抱く権利は阻害されてはならない。

しかし、『「特定の思いに基づく実質的な商行為」までもを「優遇」する事は、「ロクな結果をもたらさない」』。

「新興宗教等の実質的商行為等」は、例えば、「ガンダム等に基づく趣味の商売」と「同じ扱いで良い」のである。

過剰な利権が生み出した「新興宗教等の学校等」で学んでしまうと、それらの「学校・教師等の教え等に基づいた物事で利権確保しながら生活したがる人」も増えてしまう。

例えば、「『優遇ゆえに』、日本中至るところに、ガンダム大学やガンダム集会所が出来ている様な状態」を想像すれば、

『それが如何に「現実離れを過剰に誘っている不健康な状態」』であるのか、も判るだろう。

新興宗教等の大学とか、集会所等と、ガンダム趣味のそれらの物とは、実質的に同じである。『どちらも、科学的実態・実体では無く、「特定の考え・思いに基づいた施設」』に他ならない。

これ以上、悪戯に犠牲者を増大させない為にも、『宗教法人の優遇など直ちに止めるべき』である。

仏教的な新興宗教なら「仏教趣味」、キリスト教的な新興宗教なら「キリスト教趣味」、混ぜているようなものなら「混合宗教趣味」、・・・等々で、『「優遇など無い普通の商売と同じ扱い」で良いのである』。

普通の商売同様、大きな所を過剰に有利にしない為にも、大きな所には、格差是正の為の相応の規制ぐらい在って然るべきだ。

そして、その結果、「普通の商売への実質的な差別」が撤廃されれば、普通の世界の景気も良くなり易くなる。

一般市民なら、「景気が悪いから・・・」と『宗教や頼れそうな者・物・事を求めては、ダメ』である。

「宗教は、SLみたいなもの」なのだ。

「科学という電車」が出来た後も、『「宗教というSL」に執着している事は、「都市部の通勤電車までSLに拘っている様な状態」なのである』。

時に、古の時代の者・物・事に対して思いを寄せ、極一部に残されている『文化遺産』的なSL列車に乗りに行ったり、SLを見に行ったりするのなら、何の問題も無いが、

『「物質面」でも、「精神面」でも・・・、未だに、過剰な程に拘り、「都市部の通勤電車までもをSLで・・・」では、現実離れも甚だしく、迷惑な事この上無い』。

物質面では、「宗教・・・」では、『実際に今時の物として十分な物も出来ない』から、多くの人々が、実質的に、無宗教だろう。

(だから、物質面との係わりが濃い「理系」の人は「実際に使える物事」を持っている場合が多いのだ。

しかし、それでも、例えば、「東工大卒でも新興宗教の信者・・・」では、お話しにならない。

学校教育の過程やテレビ・マスコミ情報等々で、「文系の物事が宗教レベル」・・・が、『その様な「異常事態」』の『元凶』なのだ。)

精神面で、「丸ごと一人の死生観」のままだと、現実離れの罠に陥り易い。

(「文系」で、「丸ごと一人の死生観」・・・では、「まともな仕事も???」である。)

『「自らの精神面を現代化する鍵」は、「細胞ごとの死生観」』である。

『現状人間社会の現実を見極め、本当の患部を治療する事に力を加えなければ、自分たちの生活も健康化される訳も無い』のだ。

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身元不明死亡者等遺骨問題・・・。

身元不明死亡者も、火葬される。火葬された骨は、保管される。遺族が引き取りを拒否した故人の骨も、保管されている。

そして、保管しているところは、その類の仕事をしているところや、ボランティア的に引き受けている宗教組織だったり・・・している。

・・・もう、いい加減、故人の骨に現実離れした思いを被せ続ける事は止めた方が良いのでは・・・。

『現代人なら、故人の情報としては、DNA情報を含む電子データ情報でも十分』だろう。

はっきり言えば、生きている時は、約3年で細胞ごとに入れ替わっている骨が、焼け残るからと言って、焼け残った骨に過剰な程の思いを被せる事は、時代遅れである。

お墓の問題でも同様だが、実態としては、焼け残り大便の類とも言える遺骨を過剰に珍重する状態は、

『どんなに遅くとも、人類が宇宙で生活する前には卒業するべき』なのだ。

身元不明者や遺族受け取り拒否遺骨に囲まれて仕事をしている方々の多くは、古からの宗教関連の知識がタップリ身体に染み付いている人たち、なのかも知れないが、

遺骨珍重文化から卒業する事が、利権の喪失に繋がりかねないから・・・と、

人類の文化の正常進化の邪魔をしているとしたら・・・、

本当に残念な話しなので、

現場の実態からも、

「もう、遺骨珍重文化から卒業しませんか・・・?」という問題提起でも行ってくれたらよいのに・・・。

筆者は、基本的に、人間社会の健康化が済んだ後は、遺体は、基本的に再利用出来るところは再利用して、残って火葬され、更に残った遺骨も、粉砕して再利用すれば良いと思っている。

遺族や友人・知人等の思いの為の補助ツールとしては、写真やDNA情報等の故人の電子化された情報でも十分だと思っている。

上記の様に、死生観の整備や人間社会の健康化が進めば、現状人間社会の現実離れしたある種の無駄や不合理も整理され、多くの人々の快適生活が、より得られ易くなる。

既に子どもがいる人に、しかも、大金持ちや外国人にまでも、更に子ども手当てを配るような「少子化是正の役にも立たない」日本の血税の無駄使いを行うより、

情報・教育の健全化の為に予算を使った方が得られる効果は圧倒的に良好になる。

そもそも、今の日本が衰退しているのは、戦後の朝鮮の為の情報・教育等によるところが意外な程大きい。

その洗脳被害者である日本人官僚などの優等生たちが、意外な程、日本の為になる仕事は出来ない・・・のは、策略にはまっている限り、ある意味当然なのだ。

現実情報に目覚めた人々が多くなれば、当然、社会も活性化し、人口問題も是正されて行く。

利権集中悪徳改悪路線や、政党支配の為の利権ばら撒き等で、日本を先細りさせる事に加担してしまわないように、

現状で権力を保持出来ている人々への監視を怠る事無く、

それらの人々の仕事の実体を見極め、権力の座を与え続けるか?否か?の判断を誤らないようにし続ける事が重要である。

「丸ごと一人の死生観」だと、「死は忌み嫌う恐怖の物事で、骨には故人の魂が宿っている・・・」のかも知れないが、

「細胞ごとの死生観」なら、「死は日常であり、細胞ごとの死に魂や霊界など要らず、本当に忌み嫌うべき物事は、現実離れ」なのだ。

一人でも多くの人が、

現状利権維持の為の情報・教育等々に操られず、現実を見極め、人類の、地球生命体細胞群の健康な永続の為に力を加えられるように、

『人類として正常進化する事』を願って止まない。

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未だに「心霊に期待するおバカ」問題・・・。

「そんなに、革命がしたいのなら、先ず、お前の頭を革命しろ!・・・」は、ビートルズのレボリューションの歌詞の旨だが、

『そんなに心霊に期待したいのなら、先ず、実態通りに細胞ごとに考えてみろ!・・・』が、筆者の似非ライター(?・・・一応付けておく・・・)などの人々へのプレゼント文章である。

細胞ごとに起こっている生死の実態をちゃんと理解していないと、人は、

『「毎日この瞬間にも自分で体験している」死そのものに対する恐怖心まで抱ける程に、

「現実離れの妄想を膨らます事」が出来てしまう』。

以前から指摘している通り、『毎日誰もが体験している「細胞ごとに起きている死そのもの」には、恐怖心など不要』なのだ。

自らによる新たな意思の発現の阻害を危惧するなら、何時何時、自らの新たな意思の発現を失う事になってしまっても後悔しない様な人生を考えるべきである。

自らの誕生・死の実体をちゃんと理解しているなら、丸ごと一人の死生観に基づいている過剰な血統相続などが、どれ程現実離れした馬鹿らしい事であるのか、も理解出来る筈だ。

特定の個体に永続性を求める愚かな行動より、地球生命体細胞群の永続という実際に得られる永遠の命への貢献の方が、遥かに重要である事も解る筈だ。

心霊などの概念は、言うまでも無く「丸ごと一人の死生観」に基づいた概念で、

現在なら当然、「伝統文化遺産的な概念」なのだ。

だから、「古の人々は、丸ごと一人死生観に基づいて、存在し得ない幽霊などを恐れていたんだねぇ・・・。」等々と昔の時代の人々の感に思いを寄せたりしながら、昔を理解する事などは現実的だが、

『「細胞ごとの誕生・死という実態が明らかになっている今日」なのに、

未だに、古代人のままの死生観を一生懸命抱きしめ続けている「現実離れの妄想驀進ぶりを披露する事」は、

「ピエロ役」を演じている事に他ならない』。

問題は、自分の意思の下でピエロ役を演じ、ピエロ役を演じる事で大枚を稼ごうとしている様な「欲ボケ連中」では無く、

「欲ボケ連中」に「操られて」、「欲ボケ連中のサポートをさせられる為に、知らず知らずの内にピエロ役を演じさせられてしまっている様な人々」だ。

その様な「被害者」は、一人でも少ない方が良い事は言うまでも無いだろう。

当ブログをお読み様な方々なら、「知らず知らずの内にピエロ役・・・」は無いと思うが、

以前の宜保や織田のインチキ霊視がバレ、最近でも、江原のインチキスピリチャルがバレ・・・(元々、細胞ごとの死に意思などある訳が無いのだから、インチキしなければ霊視など成り立たないのだ。)という実状が露呈している現在でも尚、

「心霊に期待・・・」などという記事を書いている似非ライター(?・・・一応付けておく・・・)がいる事自体、

『日本の情報・教育の病状の深刻さを良く表している』のである。

テレビ・マスコミ・教育関連の人脈は、一度総入れ替えした方が良いくらいだ。

有名一流大学に入れても、新興宗教の信者になってしまう様な人々をつくり出してしまっているのは、まともな教育では無い。

そんな状態を是正する為に必要で十分な情報も流せていないテレビ・マスコミもまともに機能していない。

そして、そんなテレビ・マスコミが政治まで牛耳ってしまっているのが日本の実情なのだ。

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情報の読み方・・・。

簡単に情報の本質を見極めながら情報を読み、情報の操り人形にさせられない方法とは・・・。

先ず、以下の分類で情報を分けてみる。

1.麻薬的現実逃避情報

   例えば、平和「イメージ」の情報や、癒し情報や、その類の音楽や映像など等

2.覚せい剤的やる気アップ情報

   例えば、商業スポーツや、芸能や、応援情報や、その類の音楽や映像など等

3.実体・実態情報

   例えば、実際の事件・事故や特定の人の実際の発言の全体像情報など等

実態・実体情報と、それ以外の情報がもたらす効果の違いは歴然としている。

例えば、多くの人々は、ジョンレノンのイマジンなどを聴き、平和情報を得ると、気持ちが安らいだり、気持ちが良くなったりして、癒されたりする。(ここまでは、現実逃避情報のお話しだ。)

ところが、それこそ世界中の人々がイマジンを聴き、平和の気分に浸ったとしても、実際の人間社会は平和にならないのが現実だ。(ここから、実体・実態情報になる。)

実際の平和とは、平和になる人間社会体制が在ってこそもたらされる「結果」であり、人々の思いの中にある平和イメージとは別の物事だからだ。

実際の平和を得る為には、例えば、ジョンレノンの様な超大金持ちの超有名人などは、存在しない方が良い。

超大金持ちや超有名人の存在を認める人間社会である限り、多くの人々がその様な立場の人を羨ましがり、その中の何割かの人々は、他の人々を犠牲にする手段を用いてもその様な立場に登ろうとするからだ。

当然、立場争いの人間社会となり、平和な人間社会とはなり得ない。

実際に現状の人間社会もそうなっている。

覚せい剤的やる気アップ情報の例が抜けているので、補足すれば、

例えば、ポジティブシンキングなどがその実例となる。考え方や見方を変えるだけで、嫌な物事も嫌で無くなったり、やる気が出ない物事に対してもやる気が出たりする事は、よくある話しだが、

現状をそのままに現状適応を誘う為にその様な手段を用いる事は、覚せい剤的でこそあっても、本当の薬や治療には成り得ない。

本来は、考え方や見方の変更である意味では自分を騙してやる気を出させるのでは無く、

本質的な自分のやる気との整合性の高い物事が出来る状態をつくり出し得る事で、

自分本来のやる気を出すのが正当な方法だ。

実際は、多くの人々にとって、現状人間社会の健康化無くして、本当のやる気も得られないから、

覚せい剤理論で自分を騙し、

現状をそのままに現状適応を目指し、

現状で有利な人々にとって都合の良いやる気を出す事は、ある意味、自虐的である。

・・・・・・・。

次に、情報発信者の思惑を考える。

1.情報発信者が自らをより有利にする為の情報

2.情報発信者が自らをより不利にする為の情報

3.情報発信者が客観的立場に立ち、情報発信者自らの利益とは関係の無い情報

公共的なテレビ・マスコミなどでも、1.の類の情報が圧倒的に多いのが、現状日本社会の実情だ。

知らず知らずの内に、2.の類の情報発信をしてしまっている方も少なく無いのが、自虐情報・教育に溢れている日本社会の実情である。

そして、もちろんこの記事は、筆者は3.つもりで書いているのだが・・・。(判定は読者の皆様にお任せします。)

・・・・・・・。

上記程度の情報を読む為のベースが在れば、麻薬や覚せい剤的な情報の虜になってしまったり、情報による操り人形にさせられてしまったりする可能性は激減する筈だ。

そして、物事の本質を良く知る人々の数が増える程、人間社会の健康化も容易になって行くのである。

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恥知らず文化の代々話・・・。

あえて何処の国の人々とは、記さないが、嘘を基に国家運営を行っている国に属している人々は哀れである。

とっくにバレている嘘を、情報・教育で嘘の上塗りを行い続けたり、弱毒物の継続摂取や、レーザー電磁波の継続照射などで、都合の悪い人々を半病人化~本来より早い死へと追いやる事で、偽りの歴史を維持し続けようとしている愚民ぶりには、本当に呆れる。

もちろん、時代の進化とともに、情報はより正確に掘り下げる事が可能になっているから、いくら偽りの歴史を捏造しても、その実体は露呈する事になる。

「何故、その様な愚かな行為を行い続けているのか・・・?」と言えば、

自分の世代で、現実的処理を行わない事による

代々話なのだ。

つまり、

『代々話を演じている人は、

過去の人の思いに自分を操らせる事で、自分本来の存在価値を失わせ、

過去の人の思いを周囲の人々に強いる愚行を行ない続けている』のである。

恥の上塗りの代々話を繰り返し、人類滅亡を誘っている実質的存在価値がマイナスの人々が、早々に消え去らなければ、実際に人類滅亡がやって来る。

カウントダウンは進んでいる。

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「人類の進化」と「人類滅亡」・・・。

人類は進化を続けて来ている。その進化を大局的に見直してみると以下の様になる。

「文化の面」から、

1.頼れる物事が少なく、人が人と頼り合っていた時代。

2.頼れる物事が増え、人が人を頼らなくなって来た時代。

3.物事に頼るのでは無く、事実・現実を共有する時代。

「人のみしか頼れるものが無かった時代」では、「人と人とのコミュニケーション」も「濃くて当然」だ。

「人以外に頼れる物事」を「続々と作り出して来た事」は、まぎれも無く「進化」である。

その「進化」の結果、「人と人とのコミュニケーションを希薄にする事さえ出来ている」のだ。

しかし、所詮、「他の者・物・事を頼っている内」は、「未熟な文化」である。

『だから、「依存文化の人間社会」では、「事件・事故が頻発」し、・・・「数々の問題を抱え込んで」いる』・・・。

現在は、2.と3.の間になる。

「他の者・物・事に依存する文化」から、『依存状態から事実・現実の上に立ち、事実・現実を共有する文化』への『転換期』に当たっている。

「人の精神」の面から、

1.他の人に依存する事で、代償欲求の追及を繰り返している状態

2.他の物事に依存する事で、代償欲求の追及を繰り返している状態

3.他の者・物・事に過剰に依存せず、本来の欲求を把握・充足させ、自分で自分を健康的にコントロールしている状態

「多くの人々が1.の状態だった時代」では、「他の民族や部族」や、「国々の間」で、『人と人との「どちらが強いか?」などの「比べっこ争い」』が絶えなかった。

「オタク」なども、2.の状態の一例である。

現在は、2.と3.の間に在る。

『「文化・精神」どちらの面でも、「2.から3.への進化に失敗」すれば、「人類は滅亡」』する。

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自分の正体と人間文化の行方・・・。

どこぞやの記事よれば、「自分探し」や「本当の自分の追及」などは、仕事に有害なのだそうだ。

しかし、今時、自分の正体も、本当の自分も???な人なんて、少数派になりつつあるのでは無いだろうか?

言うまでも無く、「自分の正体」や「本当の自分」とは、

基本的に、

『地球生命体細胞群の約60兆の高度に構築された細胞群であり、

細胞ごとの誕生・死を繰り返しながら存続している生体で、

宇宙時間の流れとは違う、生体意思時間を保持している』のだ。

基本的に細胞ごとに誕生・死を繰り返しているという現実が、

自分の存続に都合の良い者・物・事を善、自分の存続の障害になるような物事を悪と感じるベースとなり、

人間社会の善悪も、そのベースが元になっているから、

「誰の中にも、天使も悪魔も存在する」のだ。

基本的に、意思と細胞の塊であり、存続目的で存在しているのだから、自らの本質的実体である地球生命体細胞群の存続に貢献する事こそ、本来の仕事なのである。

そんな、基本中の基本の「本当の自分探し」も「自分の正体確かめ」も出来ていないような子どももしくは、未熟者が、仕事のつもりで行っているのが破壊行為である。

人間社会の文化は、明白になった真実と共に進化し、変化している。

だから、「本当の自分探し」も、「自分の正体確かめ」も、真実の追究行為である限り、仕事の邪魔になどならず、大いに有益である。

・・・・・・・。

天動説から地動説へ、宗教の時代から科学の時代へ、

そして、今、「丸ごと一人の死生観」の時代から、「細胞ごとの死生観」の時代へ、

「細胞群のホンの一塊の自分に永遠性を求めるような未熟者の時代」から、

「地球生命体細胞群の永続という永遠の命を実現して行く成熟者の集団の時代」へ・・・。

人類の進化は、止まらない。

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オリンピックは平和の祭典・・・。

筆者の幼少期は、確か、「オリンピックは平和の祭典、参加することに意味がある・・・」だったが、

昨今のオリンピックでは、多くのテレビ・マスコミが、過剰に『メダル争いを煽っている』。

メダル争いとなった段階で、

精神構造的には、他者との比較に重点が置かれている事になるから、

平和の祭典は平和の祭典では無くなり、

立場・利権の争いに化ける。

そして、立場・利権争いの終極の姿は、戦争だ。

武力による戦争より、経済戦争は上辺上ではいくらかマシだが、

『数多くの死者を含む大量の犠牲者を出している事は、武力戦争と何ら変わりが無い』。

『鉄砲で撃たれて殺されるのも、

経済的に追い詰められて殺されるのも、

「人災」』である。

そして、経済戦争の「仮面」として、『スポーツや芸能などが用いられている』のだ。

『有名人の余りある報酬は、大衆騙し料』なのだ。

「平和の祭典が好きだった平和主義者の日本人は、何時から、立場・利権争いが好きな、好戦的な人々に変化させられてしまったのだろうか・・・?」

『情報・教育の責任は重い』。

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観光大仏が衰退する訳・・・。

テレ朝によれば、日本全国には、バブル期等に建てられた所謂「観光大仏の類」が50も存在しているのだそうだ・・・。

「元々、成り立たないような代物に、多くのお金をつぎ込んでも、結局は無駄になる・・・」事の一つの代表例みたいなものだから、

「何故ダメなのか・・・?」を見直す事は、無意味では無いだろう・・・。

観光大仏の類がダメな最大の理由は、

『宗教の本質を理解していないから・・・』だ。

『元々、古の宗教とは、現在で言うなら、最先端科学の様なものだった』のだ。

ただし、『その検証手段は、考え・思いによる納得』だった。

だから、

『宗教は、厳密な検証法で検証され、技術を得れば誰でも再現が可能・・・という現代の科学のような代物では無い』のだ。

例えば、

「丁寧な供養を行えば、ご先祖様には、あの世で良い事が・・・」等の

『考え・思いによる納得心』を、

「墓や仏壇や供養の儀式等々で、強くする事は出来ても」、

『実際のあの世の様子など判る訳も無い』。

現在では、既に、科学的に判っている通り、

『人の誕生・死』は、

「丸ごと一人」では無く、

『細胞ごとに起こっている』。

『古の人々が、細胞ごとのあの世を公言していなかった事からも明らかな様に、

古の人々が、公言していたあの世とは、考え・思いであり、実体が存在しているものでは無い』。

現代の人の考え・思いの世界でも、

『細胞ごとなら、あの世や、霊など、必要無い人が、圧倒的な多数派』だろう。

しかし、「丸ごと一人の死生観が主流だった時代は、

あの世や霊などが必要と『考え・思う』人々が多数派だった」から、

『「その」考え・思いによる納得心をより強くする為の、者・物・事が発達した』。

古の仏像や宗教施設や、宗教界の人の立場などは、

皆、「『当時の』考え・思いによる納得心をより強くする為の工夫」なのだ。

以上の様な現実を知るなら、

『伝統文化的なものを除き、

仏像や宗教施設等々に、「本質的な存在意義が無い」事は、誰にでも解る』だろう。

『科学の時代に生きているのに、

伝統文化でも無いのに、

古の宗教時代の価値観に基づいた

新たな者・物・事を作ったりすることに、

大枚を投じても・・・無駄になる』のは、当然なのだ。

つまり、『その様な無駄な者・物・事を作り出した人々は、上記の様な現実把握さえ出来ていなかった人々』なのである。

笑えるのは、

「そんな自分に余程自信が持てなかったから・・・」か、

「多くの観光大仏等では、者・物・事を作り出した人を、まるで教組の如く、拝む場所まで設けられていたりする・・・」事だ。

客観的に見れば、

それは、『他の者・物・事に過剰に依存している代償欲求の追及の姿に他ならない』のに!(つまり、恥の上塗りのようなもの・・・なのだ。)

観光大仏などは、早めに解消した方が、

環境面や他の利用などのメリットも大きく、

『作り出してしまった人の至らなさの宣伝も、早めに終わる事にもなる』のだ。

・・・・・・・。

『宗教の時代は、既に終わっている。

宗教問題、伝統文化的な者・物・事は、伝統文化として扱い、

新興宗教等は、悪戯な優遇などせず、他の商売と同じ土俵で扱うべき』である。

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