世紀末的映画「相棒」・・・。

『「テレ番」と「繋げて」、「映画を見ないと、次のテレ番時には???の要素を盛り込むという、ある種の禁じ手」まで「投じて」、

「何故、そんなに集金に走るのか?テレ朝!

(・・・と早合点してしまったが、「相棒」の映画化は、テレ朝&東映等の映画人脈の為の利権分配の目的もある様で・・・

まぁ、テレビ人脈だけが儲けるのより、少しは、他のところにも、お金が散らばるのは良いが、

その範囲は、マダマダ狭過ぎる・・・)」を考えると、

「テレ朝&東映等の経営状態」や、

「政界とも決して無縁では無いテレビ界」における

「テレビ&映画相棒の集金道具化の目的」への

「妄想(?)」が「際立って来てしまう」が、

「その様な実態」は、正に「世紀末的」だ。

「現状の人間社会文化」は、「既に行き詰っている」』。

『「実写版ヤマト」もそうだが、

「日本の映画」も、「他国の映画」も、

「正に、行き詰まり」で、

「行き詰まり映画」は、「表の顔をどんなに変えても行き詰まり映画」なのだ』。

『「現代を生きる人々」の「中には」、「既に、莫大な現状脱出欲動」が「蓄積されている」。

「現状の人間社会文化」を「正しく進化」させられなかった時に「人類が得る」のは、

「膨大な現状脱出欲動が導く終末戦争」であり、「それは、人類滅亡の入り口」なのだ』。

『「「行き詰まり映画では無い映画や現状人間社会文化の進化」の「ヒント」は、「他の記事にも度々記している」。

「ポイント」は、「比べっこ原理主義」から「本質追求原理主義」への「正常進化」である』。

『例えば、「大金持ち」について考えてみよう。

「短絡的な比べっこ原理主義」に「基づけば」、

「大金持ち」とは、

「他者より優位な憧れの立場」だが、

「大金持ちの本質を追及する」なら、

「大金持ちには、通常人間生活で使うのに必要以上のお金が有り、

その結果、余剰のお金は、往々にして、滞っていたり、実体経済離れしていたりする」から、

「個人的な大金持ち」は、

「経済の潤滑を妨げ」たり

「お金の実体経済離れを誘っている」

「悪者」に「他ならない」。

「大金がかかるプロジェクト等」を「行いたい」のなら、

「個人レベルでは無く、企業レベルで行う」のが

「大金の実体経済離れを防ぐ意味からも正当な道」である。

「個人の大金持ち」には、「正当性が無い」。

・・・等となる。

だから、「本質追求原理主義」的に考えるなら、「個人的大金持ちは悪である」』。

『「多くの人々」が、「本質追求原理主義的発想」で、「世の中の色々な物事の実体を見極めてしまう」と、

「大金持ち」や「過剰な血統相続」等、「現状では有利な人々の不当な利権も消失する」。

(因みに、

「過剰な血統相続」に「正当性が無い理由」は、

「生物が遺伝で受け継いでいる」のは、

「主として生物的環境適応情報」であり、

だから、「肌の色とか、親に愛され易い様に姿形とかは、良く遺伝する」が、

「内実」は、

「精子も卵子も適度に異物化されているから排出されている」のだし、

「しかも、それぞれを組み合わせて、適当に選択された遺伝子の組み合わせで別人格の別人が産まれている」というのが、

「実体だから」だ。)

そこで、「現状で有利な人々」は、「現状維持の為、数々の悪の工夫を行っている」。

例えば、「情報・教育」である。

「比べっこ原理主義者」を「育成する事」は、

「現状を繰り返す事に直結している」。

だから、「情報・教育」等で「指導的立場を得られている現状で有利な者たち」は、

「必死になって、一人でも多くの人々に、

比べっこ原理主義を仕込むべく、

あらゆる情報・教育を駆使し、悪あがきを続けて来た」。

「その結果」が、「戦争の歴史を繰り返し続けて来た人類の歴史」である』。

『そもそも、

「獣では無い、脳細胞が高度に発達し、現実把握能力が相応にある人類」が、

「戦争という自虐行為を繰り返し行い続けなければならない理由」など「何処にも無い」。

「獣の弱肉強食等の上辺」を「見て」、

「比べっこ原理主義」のまま、

「その形を真似続けてきた」から、

「自虐争いを繰り返して来たダケ」なのだ。

「人類の誰もが地球生命体細胞群の高度に構築された約60兆の細胞の塊であるという現実」を「把握」するなら、

「人類は最初から一つ」である。

「上辺の小差に無理やり拘った短絡的な比べっこ原理主義」が、

「元々一つである人類」を「無理やり多種に分けた」だけでは無く、

「無理やり分けた他者同士」で「自虐的な比べっこ争い」まで「行わせている」のである』。

『「地球生命体細胞群」の「永続」の為には、

「地球生命体細胞群の構築度を上げ続ける事が必需」である。

「人類は、神の逆鱗に触れたから、言葉を分けられ、コミュニケーションをとり辛くなったのでは無く、

人類がその構築度を上げ続けた結果、多様性が必然的に生じ、その結果、多様な言語を得た」のである。

「人類の出現~繁栄」は、「地球生命体細胞群」が「地球外を目指さざるを得なくなった必然」から「生じている」。

「地球生命体細胞群の一部」が「鳥類になり、地球外の住処を模索した結果」、

「身体的環境適応変化では、地球外の住処を得る事が非常に困難である実感を得て」、

「身体的変化以外の手段を用いる為」に「高度に発達した脳」の「必然」を「感じ」、

「人類を生み出した」のだ。

「人類」は、「この本来の役割」を「決して忘れてはいけない」。

「人類も含む地球生命体細胞群の真底の欲動」は「存続」である』。

・・・・・・・。

『さて、「世紀末的映画を作った、映画製作の立場がある人々たち」は、

「新世紀の映画を作り始めているのだろうか???」

「立場のある人々の責任」は、「立場が無い者より遥かに大きい」。

「報酬」とは、「本来、自らの本来の仕事である地球生命体細胞群の存続に対する貢献に対して支払われるべきもの」だ。

「人類滅亡への貢献なら、罰金支払いが相応」である』。

『「映画相棒」で、

「役の一人」が「絶対的な正義など存在しない」旨「訴えるシーン」がある。

「筆者たち」に「言わせるなら」、「絶対的な正義」は「存在する」。

「善悪とは健康問題」であり、

「地球生命体細胞群の永続との整合性の問題」であるから、

「その通りに物事を整理すれば、正義も悪も、相応に、絶対的価値で判断出来る」のである。

「映画相棒」でも、

主役の「杉下右京」は「無言だった」が、

「目は何かを訴えていた」。

一応、今後は、「新世紀的テレ番や映画等を期待しておこう」と思う』。

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世紀末的「宇宙戦艦ヤマト」の実写版・・・。

『言うまでも無く、「宇宙戦艦ヤマトの話」は、「他の者・物・事に投影・転嫁する、比べっこ原理主義」に基づいた

「古臭い人間ストーリー」である。

「外に悪・敵を作った上」で、

「正義の主人公や味方等との同一視心理」を「煽り」、

「悪敵と正義との比べっこ」により、

「最終的には、正義側が相応に勝利する」、

「何処にでも、ゴマンと在るストーリー」だ。

「違うのは、上辺や脚色」である』。

『「技術の進化や、ストーリーを知る作り手の熟成」等々により、

「上辺や脚色の質」は、「格段に進化している」が、

「お話し自体」は、

「古臭いモノ」だから、

「古臭いモノによって心を揺り動かされる事が好きな人々以外」なら、

「あまり面白く無い」。

「実写版ヤマト」は、「現代の技術を使った、精神構造が古いままの映画」である。

この「技術と精神構造のズレ」こそが、

「現在の人類の一大問題」である事に気付くなら、

誰にでも、

「現在、本来なら、在るべき映画像」が、「浮かび上がって来る」筈だ。

「実写版ヤマト」は、「世紀末」で、

「新たな世紀の映画作りが、スタート」していれば、

未だいくらかは、「現状で、映画を作っている連中もマシ」なのだが、

「果たして、実態」は・・・』。

『「新時代相応の良い商売」となる「可能性大」である

「精神構造も現代相応の映画」・・・。

しかし、「映画製作者たち」が、「オコボレ頂戴わんわんたち」である限り、

「精神構造の近代化は行われず」、

「技術と精神構造のズレた古臭い映画が続く筈」である』。

『「超ボンボン鳩山氏の場合」は、

「総理の立場も、元総理の立場も、余りあり過ぎる金銭財産も、

多くの一般市民の為には、全くと言って良いほど、生きていない様・・・」だが、

「世の中には、少々のお金や立場が得られれば、

多くの一般市民にとって、大変有益な仕事が出来る人々が数多く埋没している」のだ。

「技術と精神構造のズレの問題に気付いている若き作家等」は、「是非とも頑張って欲しい」。

「世紀末の後が、世紀末ばっかり・・・」では、

「人類滅亡も、それ程先では無くなってしまう・・・」のだから』・・・。

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小沢氏強制起訴では検察審査会批判、警察幹部強制起訴の時は検察審査会賛美という「韓流テレビ」の善悪観・・・。

『以前の「歩道橋事故」の件の時は、検察による警察幹部の不起訴は不当で起訴すべきと議決した「検察審査会を大賛美」していた「韓流テレビ」は、

「今回の小沢氏の件」では、「検察審査会自体を問題視・・・」である』。

『「警察・検察は悪者扱い」、

「巨大●暴組織も支持表明している、民主党は正義扱い」、

・・・というのが、「韓流テレビ」の「善悪観」なのだ』。

『「その裏」にあるのは、「自分たちのお仲間」を「摘発したり、逮捕したり、拘留したり、罪を決定したり・・・」する「立場にある者たち」は、「悪」で、

「どんな問題を内在していても」「お仲間たち」は「正義」という

「事実・現実に基づかない」

「特定の偏った思い込みに基づいた」

「善悪観」なのである』。

『「隠れ血統差別主義者たち」の「実態」とは、「そんなモノ」なのだ。

「そんな者たち」に、「過剰な立場」を「与え続けていてはいけない」。

「日本のテレビ人脈」は、「総入れ替えするべき」である』。

・・・・・・・。

『「上記の様な実態が露呈」する様になってから、

「多くの普通の日本企業のスポンサー」が「テレビ界から引き気味になり」、

現状の大きなスポンサーは、

「パチンコ業界」だったり、

「ロッテ」や「ソフトバンク」の様な「朝鮮系」だったりしているのが、

「日本のテレビ界の現状」である。

「韓流テレビ」で「コマーシャルを打っている」のは、「お仲間」なのである』。

『「お仲間利権団体」的様相を色濃くしている日本のテレビ界は、「早急に正常化されるべき」である。

「正常化されるまで」は、「視聴者サイド」で、「情報発信側の実体を把握した上で、その情報の意図や価値を判断する自己防衛」が「必需」になる』。

・・・・・・・。

『「警察・検察は悪」&「お仲間は正義」というのが、「隠れ血統主義者たちの善悪観」である。

「警察関係者」は、「そんな隠れ血統主義者たちの懐柔工作に落ちる事なく」、

例えば、「パチンコ業界」等では、「徹底した調査・摘発を行うべき」である。

「パチンコ業界」では、「業界団体」が「遊戯者リスト」まで作り「違法である個人管理」を「パチンコ等機械の違法操作」で行っている。

「真面目に摘発」すれば、「ほぼ全ての店が無くなる」筈だ』。

『日本社会健康化の為には、

「現実把握・実体把握を促す正当な情報・教育」と共に、

「違法金融」・「違法風俗」等の「摘発」と同様に、

「違法パチンコ店(現状ではほぼ全ての様相・・・)」の「摘発も必需」である』。

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「尖閣諸島中国問題デモ」は「スルー」、「警察・検察批判&取調べの可視化訴え」は「テンコ盛り」、テレビ情報の異常性・・・。

『「何度も指摘している」通り「日本のテレビは親朝鮮現状権力者系の人脈に乗っ取られている」実態を露呈している。

「親朝鮮現状権力者系人脈」にとっては、「反中国共産党情報」は、「自分たちの策略」の「邪魔になるから、排除・隠蔽したい」。

「警察・検察批判&取調べの可視化」は「自分たちを有利にする」から、「無理にでも、情報の一方的大量配信を行いたい」。

「放送倫理など何処吹く風」、「一端、公共の電波の特定周波数独占使用権を得ようものなら」、

「権利の剥奪などあり得ないから・・・」と、

「やりたい放題」なのだ。

「連中」は、「大き過ぎたダイエー等が潰されなかった」のと「同様」、

「相応に大きな権利を独占している自分たちは潰されない」と「思い込んで」「やりたい放題」しているのである』。

『「実際」は、「民放キー局の正社員・役員・常連出演者等」など、「極少数」だから、

「代わり」の「普通でまともな日本のテレビ局を運営出来る企業」が表れて、

「大衆合意上」でも、「特定周波数の独占使用権をそちらに移すべき」となり、

「決定権のある省庁で、その旨決定」されれば、

「現状の異常な程一般日本離れしている韓流テレビ局」などは、「一気に駆逐される」事になる』。

『「そうさせない為」には、「教育・情報・政権のコントロールが重要」だから、

「日教組等で左翼(=親朝鮮現状権力者・親中国共産党)&自虐・去勢化教育」を行い、

「民主党」という「左翼(=親朝鮮現状権力者・親中国共産党)人脈の連中の権力が一般日本人の権力より大きな政党」をつくり、

「韓流テレビ・マスコミ等」による「政権交代の大合唱」という「不当な情報工作」で、

「民主党政権を誕生」させ、「親朝鮮現状権力者系の人脈によるテレビ局支配」を「延命している」のが「現状」だ』。

『筆者は、今回の「尖閣諸島中国船領海侵犯衝突事件」が、「反中国運動」になってしまう事には、「賛同出来ない」が、「反中国共産党運動になる事」には「大賛成」だ。

残念ながら、筆者も、「反中デモの実態」は「良く知らない」が、

少なくとも、「デモが在った事」や、「その実態」は、「多くの人々が十分分かるように報道する」のが、「テレビ・マスコミの役割」である。「電波の特定周波数の独占使用権を有している」のなら、「尚更」だ』。

『本日も、「テレビ」では、「警察の不当な取調べのみ」を「大宣伝」し、「その延長線」で、「取調べの可視化の必要性」を「大いに訴えていた」。

「現状の警察・検察の自供至上主義」の「裏に在る」のは、

「警察・検察体制の不十分さ」なのだ。

現状の日本の「警察・検察」は、「人員・予算等が十分では無い」のだ。

特に、「現代的捜査手法が十分に取れない法体制」と

「科学捜査に対する不十分な体制(予算・人員・設備等)」の「問題」は「深刻」である。

本来なら、「取調べの可視化」の前に、「法体制の現代化」と、「科学捜査体制の充実」等の「警察・検察の体制整備」を「訴える」のが、「まともなテレビ・マスコミ等の役割」だ。

「独裁政権下の警察・検察」の「体制強化」なら、「一般民衆の敵」だが、

「民主政権下の警察・検察」なら、「現代化等、必要な体制強化を怠る事」は、「治安上も好ましくない」。何故なら、「犯罪を行う方」は、「警察・検察の体制強化のある・無いに係わらす、現代的に強化し続けている」からだ。

「現状の警察・検察の自供偏重主義」の「裏に在る」のは、「体制不備がもたらしている、仕事上の不当な圧迫」なのである。

「そんな状態」を「放置したまま」、「取調べの可視化」で、「更に手足を縛られた様な状態での取調べ」を「強いられれば」、

「犯罪を行う方を不当に利するダケ」なのだ。

「十分な体制が持たされていない現状の警察・検察」を「責める事は簡単」である。

しかし、それでは、「日本の治安は悪くなるばかり」だ。

「犯罪者側に立っていないテレビ・マスコミ等」なら、「先ず、十分な体制の必要性」を「訴えるべき」であり、

「可視化」は、「その後の問題」だ。

「今回ニュースになっている警察官の不当な自供強要」にしても、「十分な体制」が「整っていれば起こる可能性が激減している話し」である。

「不十分な体制等のストレス」が「弱い現場等~更に弱い取調べを受けている人等」へと「押し付けられがちになってしまう」のは、「何処の世界でも同様」だ。

「警察官」も「検察官」も「聖人君子では無い」。「常人の落ち度を減らす為」には「相応の体制が必要」なのである。

「整えるべき物事の順番」を「間違い」、「犯罪を行う方を利してしまう事」だけは、「絶対に避けなければならない」。

筆者も、「今回の警察官の不当な自供強要」は「本当に悪い事」と「思う」し、「本当に残念」に「思う」。「不当な取調べの被害者」は「本当に大変だった」と「思う」し、「怒りも当然だ」と「思う」。

しかし、「韓流テレビの論」の様な、「悪戯な警察官のみ悪論&取調べの可視化論」には、「全く同意出来ない」。

「本当に悪い」のは、「一に不十分な体制」であり、「不十分な体制を是正させない人々」である。

「この記事」と、「韓流テレビの論調」を「比べ」、

「どちらに妥当性があるのか?」は、「多くの一般日本人なら分かる筈」だ』。

『「現状の日本のテレビ」は「本当に異常」である』。

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「イチローの年収は高過ぎるか?」だと・・・。

『他の放送局の番組が、余りにも酷かったので、NHK教育テレビを覗いてみたら、「ハーバードの教授&東大生等々の公開討論スタイルの哲学授業」などを行っていた。

「善と悪に関する哲学的考察」らしい。

「さすがに考える為に考える哲学らしく」「考える基となる前提条件」も「多様な意見が発生し易い状態に想定」してあったし、

「意見の深まりも???」だった』。

『しかし、「善と悪の問題というテーマ自体」は、「相応に面白いテーマだった」ので、

「ハーバードと東大等々」の「ある種のおバカぶり」を「楽しみながら、ある程度の時間ながめていた」』。

『「所謂優等生」の「おバカなところ」は、「与えられた者・物・事」を「素直に覚えて」、

「鵜呑みにした者・物・事を基に」「行動等を起こし続ける事」だ。

結果、「基を与える方に見事に操られる事になる」。

「今回の授業(?)」でも、

「教授の想定通りの哲学的結論」へ

「皆で協力しながら、議論を進めている様」は、

正に、「意識的にせよ、無意識の内に操られていたからにせよ」、

「操り人形たちによる出来レースの行進みたい・・・」で、

「オリコウぶっている人々が見事に操られている様」は、

「傍から見ていると、芸の無い芸能人のお笑いより滑稽で面白かった」』。

『「批判ばかりしている」と「お前はどうなのよ!」と言われそうなので、

簡単に、「筆者だったら・・・」の考察例も記して置こうと思う』。

『「最初の話題」だった、「遭難した船の救助船に、三人の家族持ちの船員と、一人の一人者が残り、一人者が弱った後、三人の船員が、自分たちが生き残るために、弱った一人者を殺して食べた例」の場合は、「どうか?」

ある人は、「家族持ちの三人が生き残る為なら、一人の犠牲は仕方無い」旨述べ、

ある人は、「その人の了解無しに、人の命を奪う事の悪質さ」を問題視し、

ある人は、「人の命などの人権は、無条件に一番尊重されるべきである」旨述べたりしていた。

そして、「教授」は、「それら全てに、特に優劣を付けず、全ての考え方を実質的に容認する哲学的手法」を採っていた。

「元々が、多様な意見を誘う様な問題の状況設定」であり、「結論」が、「色々な考え方を知った上で更に考えましょう・・・」なのだから、「哲学とすれば、それで正しい」のかも知れないが、だから、「哲学は、宗教と同じ・・・」とも言われてしまうのだ・・・。

「善悪の問題」を考える様に問題提起していながら、

実際は、「善悪を考えていない」で、「他の人の意見を考える様になっていた」のである。

上記の問題、「善悪という切り口で考える」なら、「先ず、善と悪の定義が必需」である事は言うまでも無い。

「筆者たち流に定義」するなら、「善とは、健康な通常細胞等の働きと同様の働き」であり、

「悪とは、ガン細胞等の働きや、死んだ細胞による信号遮断等と同様の働き」であり、

「善悪問題とは、健康問題」である。

「細胞レベルの働き」を「相似性を保ったまま拡大化」すれば「個人レベル」にも、「人間社会レベル」にも、適用出来る。

「実体を伴っている」様に「基の定義」をちゃんとすれば、「現実的な問題の整理」も簡単になる。(ここでは、文学的表現を用いたが、細胞の働きや、人間の行動等を、時間軸まで含めた四次元ベクトル的に解析把握し、相似性や地球生命体細胞群の永続との整合性等を検証する等の手段で、数学的に定義し、問題処理する事ももちろん可能である。

現状の宗教的な法の世界から、科学的な法の世界への移行は、そのような数学的定義と問題処理の熟成により可能になる。)

「先の問題」なら、「殺人」という「他人の命を略奪する行為」は、正に「ガン細胞が他の細胞に行くべき栄養分等を略奪するのと同様」で、「悪」である。

「その様な手段で生き残った者」は、「少なくともその時点では、ガン化する事で生き残った」様なものだ。

「ガン細胞」ばかりになれば、「人間社会も死を迎えてしまう事」は「容易に推定出来る」。(現在の人類、正に、この様な状態なのだが・・・)

だから、「通常状態の社会で、ガン細胞状態になる事」により「人が生き残る事を喜ぶ事は自虐的」である。

今回の事例では、「極所的に通常状態では無い極限状態」という解釈も可能な様に思えてしまうかも知れないが、「遭難」は、「通常社会内での部分的極限状態」であり、「遭難により通常社会が非常もしくは異常社会化してしまっている訳では無い」。

「部分的極限状態」で、「殺人等のガン化対応を容認」すると、「通常社会自体が、非常もしくは異常社会化してしまう」。

「家族等を偏重する血統家族主義」も正に、「ガン細胞的発想」だ。

「自分たちさえ良ければ、他の人類(先の例では、殺された一人者)は、仕方無い・・・」では、お話しにならない。

「ガン化した船員」と「ガン細胞的発想を保持した家族」が生き残った事は、「人類全体としては、決して喜べる事態では無い」。

「通常社会ベースでは、生きている個人を他の人が殺す行為」は、「どうあがいても正当化出来ない」。

しかし、例えば、「戦争等の悪事の真っ最中」だと、「判断も変わり得る」。

「悪事の真っ最中」なら、「ガン化してでも生き残らないと、より悪質な者が生き残ってしまう可能性が大きくなる」。

「自らが、殺されない為の自己防御」として、「それ以外の手段が無い場合の殺人」は、「自らが、相手よりより善である事を大前提」に、「正当化出来る」。

「自らと相手のどちらがより善なのか?」を「判定する為」には、「地球生命体細胞群という自らや相手の本質の存続に対する貢献度」を「用いれば良い」。

何故なら、「元々が、地球生命体細胞群の高度に構築された一塊」である「一人の人」の「本来の役割」とは、「地球生命体細胞群の永続に貢献する事」に他ならないのだから。

「地球生命体細胞群の存続」という「人類の共通利益」を外れて、

「地球生命体細胞群の滅亡を誘ってしまう物事」を

「他の人の命まで奪いながら行い続けている様な個体」は、

「その是正が無いのなら、殺されるべき正当な理由を持つ」。(ガン化してしまい、認識が自己や自分の家族等々がほとんど全て・・・という様に狭窄してしまっている様な人々は、早急にそんな自らの状態を是正するべきである)』。

また、『「善悪判断」は、「その行為ごとに、その都度」行われなければならない。

「遭難船に乗っていたのが、ドロボー一家の家族持ち三人と、普通の一人者一人だったとしたら・・・」という例を考えれば、

「善悪の考察」として「深まり易い」だろう。

「ドロボー一家の家族持ち三人」が、「普通の善人である一人者を殺して生き残り」、「家族の気持ちを優先」するのなら、

「優先しているのは、ドロボー一家&殺人者」である。

しかし、「ドロボー一家の家族持ち三人」でも「殺人を行わず」、「その時点では、皆が生き残れる様に最大努力をしていた」のなら、「その時点では、ドロボー一家の家族持ち三人も善人」である。

「人は、誰でも、通常健康細胞等と共に、死んだ細胞もガン細胞等々も抱えている(=誰もが善・悪双方の要素を保持している)」のだし、

「人の状態は、常に変化している」のだ。

だから、「日々刻々と移り変わりながら生体として存続している自分の実体・実態把握」と、「健康的なセルフコントロール」が「重要」なのである。

「存続している生物」は、

「宇宙の時間の流れとは別の時間の流れを保持しているが故に、

「宇宙時間内で自分時間の保持の継続」を「可能とする為の整合性を保つ為」、

「自分の状態を確認する欲動(自己確認欲動)」を「保持」しているのだ。(生物が、その時点の自分の状態を把握し、自らの存続を誘うべく宇宙時間との整合性を取る行動を行わなければ、・・・その様な生物は存続自体が、困難になる。

そして、その危機が、今、人類に降りかかっているのだ。)

ところが、

「頼る者・物・事」を、「身の回りにたくさん人工的に生み出す事が出来ている人類」の多くが、

「本来の自己確認欲動に基づいた行動を疎かにしたまま」、

「周囲の者・物・事に依存した人生に現実逃避したがってしまっている」から、

「善悪も???のまま」「者・物・事に依存した現実逃避の自慰行為」に「明け暮れたがる様な人々」が「増えてしまっている」のである』。

・・・・・・・。

『「二番目の話題」は、「イチローの年収は高過ぎるか?」等だった。

「経済の問題」を考える時、「現状の経済システムの現実との整合性の問題」は「欠かせない」のだが、

「哲学的考察に終始する為」には、「本質追求は避けなければならない」からか、

「現状の経済システムの問題」は、考えずに、議論だけが進んだ。

「結果、ここでも、多様な意見が出て、多様な意見を多様な意見のまま受け止めて、更に、考えましょう・・・」という様な結論になっていた。

もちろん、「現状の経済システムの現実との整合性」を「検証するなら」、

「実体として、タカが、野球が上手く、人々の現実逃避の受け皿を担っているに過ぎないイチローの現状の年収は高過ぎる」事は「言うまでも無い」。

「現実との整合性が高い経済システム上で」なら、「報酬とは、地球生命体細胞群の永続に対する貢献度」で「決められる事になる」からだ。

「イチローの年収を実体的に評価する」なら、

「自己の生体維持の貢献度」と、「野球の先生としての貢献度」と、「人々の健康維持の為の現実逃避受け皿としての貢献度」等は、「相応に評価されるべき」だが、

「過剰な現実逃避を誘い、人々を現実逃避という麻薬漬けにする悪事」に対する「マイナス評価」も「当然、加えなければならず」、

「マイナス評価分の過失相殺的責任分担を加味」しても、

「どんなに多くても、人並み+アルファ程度が妥当」である。

所詮「人前でプレーする野球が上手い人」は「人前でプレーする野球が上手い人」なのだ。

因みに、「現実との整合性が高い経済システム」なら、「どんな人でも、衣食住で必要なお金は大差無く必要となる」から、「健康状態を目指す生体維持という地球生命体細胞群の存続に貢献している善業に対する報酬」は、「応分に得られなければならない事」になる。

「現状の人間社会」では、多くの人々が、この「自分を心身共に健康な状態を目指してコントロールし続ける」という「基本的な仕事」をすっかり忘れ、

「基本的な仕事が???のままの状態」に対する「他の人からお墨付き」を「求め合う」

「自分の実体等の現実から逃避しながら、他の者・物・事に頼る代償欲求の追及に奔走している」から、

「人間社会が、人類滅亡方向へ行進を進めてしまっている」のだ。

「そんな状態を生み出したばかりか、そんな状態を維持し、より悪くする事にも力を発揮してしまっている」のが、「現行の、酷く現実離れした、いい加減な、経済システム」である。

「経済システムの現実離れ」が「是正」され、

「生体維持ベースに決定的な差が無く」、「健康的な情報が配られている」なら、

「他人との比較でより良い立場を得る為に等のガン細胞的精神構造から、学歴をお金で買う様なガン細胞的悪事」に手を染める必要に迫られる人も無く、

「適材適所社会」となり易くなる。

「大学の設備等にかかるお金」は、「個人の財産から手当てすべき物では無く、社会財産として整備すべきもの」である』。

・・・・・・・。

『「何事でも」「本質を追求する」のと「上辺を覚えて上辺のみで考え続ける」のでは、

「得られる結論も、圧倒的に違う」。

「筆者たちの感覚」では、「上辺を覚えて上辺のみで考え続ける」のは、「遊び」であり、

「学問でも仕事でも無い」。

「哲学の時代は終わっている」。

「哲学も宗教同様、伝統文化遺産として教えるべき」である』。

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「金正銀では無く、金正恩」だと・・・。

『本日の「親朝テレビ」は、「金正恩の宣伝」でも忙しい。テレ朝などは、「・・・お名前・・・」と敬いの意を示しつつ、「お父様やお爺さまに良く似ていらっしゃる・・・」旨付け加え、

「日本の公共の電波」を使って「血統家族主義」と「世襲」の「宣伝をしている始末」だ』・・・。

『「先日の報道」では、「金正銀」だったのが、「金正恩」になったのは、

「先日の報道」は、「中国の公の出版物での最近の表記を元にしていた・・・」との事なので、

「世襲はダメ!」という「上辺が有る中国」では、「世襲への皮肉を込めて、金正(金より劣る)銀」だったのかも知れない』。

『何れにしても、「北朝鮮一般国民とは程遠い、栄養満点どころか過剰気味の身体」を、「全世界に露呈させた事の意味」は大きい。

「北朝鮮一般国民とは、全く違う成育歴」が「容易に推定」出来る』。

『「北朝鮮一般国民の為」にも、「中国の民主化を急ぐべき」である。

「中国が民主化」されれば、「北朝鮮も必然的に変わらざるを得なくなる」』。

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本日も、「北朝鮮体制の宣伝」に邁進している「親朝テレビ」問題・・・。

『「本日の昼のニュース」、「NHKも含めて、北朝鮮の金正銀の話題がトップニュース」だった。

「如何に、日本のテレビ界が、親朝鮮系人脈に牛耳られているのか」を「良く露呈」させている。

それを、「日教組等の平和ボケ・愚民化教育」と、

「日頃の韓流テレビ・マスコミの親朝・愚民化情報」等々で

「マインドコントロールされてしまっている数多くの一般視聴者」が、

「疑いもせず、ロクに文句も言わず」、

「実質的には、自らのマインドコントロールをより深くする様に、鵜呑みにしている・・・」のだから、

「日本社会の元気が出ない」のも、「ある意味当然」である。

「北朝鮮の現体制」の「宣伝をする事」の実体は、「北朝鮮の現体制」の「応援」に他ならないのに、

「日本のテレビ局」は、「揃って、トップニュース」なのだ。

本来なら、「末尾ニュース」として、「紹介程度の情報提供を行う」と共に、

「独裁者の世襲が行われ続けている限り、日朝問題の真の解決も困難で、北朝鮮の一般国民の現代的な生活も困難でしょう。

北朝鮮が早く現代化される事を願っている人も数多いと思います。・・・。」等のコメントでも付ける事が「独立国日本国内の適切なニュース情報」なのに』・・・。

・・・・・・・。

『「橋下大阪府知事」は、「尖閣諸島問題での中国の強引で狡賢い対応を賛美」し、「日本も同様の対応が出来るくらいの国の体制を整えるべき・・・」と、「如何にも独裁者的発想」を「公言していた」が、

「現代人類社会で望まれている」のは、「旧来からの、比べっこ原理のパワーゲーム」ではあり得ない。

「そんな道を突き進めば、確実に人類は滅亡する」。

「ちゃんと、中国共産党と中国一般国民を分離」し、

「中国の民主化へ力を加える事」等で、

「比べっこ原理のパーワーゲーム社会」から、

「本質追求原理の現実主義社会」への

「正常進化を推進する」様にしないと・・・。

「現状の日本社会」は、「敗戦~日教組等やマスコミ等による平和ボケ・愚民化教育/情報」により、

「悪戯な比べっこ原理のパワーゲーム」からは「抜け出して」いても、

「その先が???な人々」で満ち溢れている。

そんな数多くの人々が「本来進むべき道」は、「本質追求原理の現実主義」である。

「平和ボケ」では無く、「平和追求」、

「愚民化」では無く「能力開花化」の教育・情報だったなら、

「既に、数多くの人々がその道を歩んでいる筈」だ。

「橋下氏の様に、旧来からの比べっこ原理、大権パワーゲーム的手法に後戻りする事で、現状利権を得ている人々」は、

「往々にして道を誤る」。

「個人レベルで道を誤っている内は、大勢に影響は無い」が、

「誤った道へ数多くの人々を誘導しようとするようになってしまうと、・・・問題」だ。

「有権者」も、「権力者を選ぶ目」を「もっともっと養い」、

「自らが権力を持ちたがる人は、避け」、

「事実・現実に権力を預け、

ちゃんと人間社会を進化させる方向へ向かわせる人」を「選ぶようにするべき」である。

「数多くの一般国民のレベル向上」により、「より良い社会体制も得られる」のだ。

「大権主導者の下で操り人形化されている国民」の「国々の実状」を見れば、

「事実・現実主義に基づいた、本当の民主主義の重要性」に「誰もが気付く筈」だ。

「人間誰しも、事実・現実と共にある事で、はじめて本当に落ち着ける」のである。

「者・物・事に頼れている状態」は、「落ち着けた状態では無い」。「現実逃避している状態」である。

「大権を作り、大権に頼ろうとする」等の、「後ろ向きの歩みは絶対にダメ」である』。

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「日本側に立っているフリをしながら中国共産党の応援をしている」マスゴミ問題・・・。

『「尖閣諸島中国船領海侵犯衝突」について、「日本側の立場に立っているフリ」をしながら、「実は中国共産党の応援をしているマスゴミ」は多い。

「コレが、親朝・親中マスゴミの実態」である』・・・。

『「中国共産党」と「中国一般国民」を「分けず」、

「中国共産党の問題」を「中国全体の問題」の様に扱えば、

「利を得てしまう」のが「中国共産党」であり、

「日本にとって不利益」である事は、「以前から何回も述べている」。

「個人レベルでも簡単に気付く事」を「あえて封印」し、

「今回の問題」を「中国全体の問題として扱っているマスゴミ」の「実体」は、

「実質的に、日本に不利益をもたらし、中・朝を有利にすべく動いている、親中・親朝工作機関」である』。

『「上辺」では、「得意気に日本側に立っているフリ」をしながら、

「内実」では、「日本に不利益をもたらし」、「中国共産党に利を与え、中国共産党が力を増す様に動いているマスゴミ」など、「要らない」』。

『「何故、中国が謝罪と賠償を何度も要求して来るのか?」

・・・その「引き金」として、「菅総理」による「対韓自虐土下座談話」が在る。

「元々存在していない物事で詫びる様な政権なら、突き入れば、突き入っただけ利を得る・・・」と考えるのは、「ならず者支配者の常」である。

「中国共産党」では、「中国に比べれば小さな国である上に、日韓併合で国の急速な近代化まで行ってもらっている韓国に対し、更に、あんなにオイシイ思いをさせている日本なら、

実際に、中国国内で戦争行為を行っていた事も加味すれば、中国の方が韓国より遥かに大きなオイシイ思いが継続的に出来ても当然・・・」と考えているのだろうと推定される。

「不用意な対韓自虐土下座外交」の「ツケ」は、「非常に大きなモノ」になってしまう様相を示している』。

『「売国民主党」も、「売国マスゴミ」も、「一刻も早く表舞台から退くべき」である』。

『何度でも繰り返すが、

「日本が竹島や尖閣諸島を合法的に領土とした当時、

清も朝鮮も近代化に遅れ、

王朝存在地から遠い島の合法的領土管理など出来得る状態では無かった」のが、

「歴史上の現実」である。

「近代化に遅れ、国の規模も小さかった当時の韓国」は、

「国の存続と韓国内の急速な近代化の為に、日韓対等合併を望み、国力相応の日韓併合という合意契約になった」のが「歴史上の現実」である。

それを、「大戦と日本の敗戦をいい事に、戦勝国の民に成り上がるべく、数々の工作を行い」、

「三国人の立場を得た(さすがに、戦勝国民としては、米国等が認める訳も無かった)」と共に、

「韓国内」や「日本(学校教育やマスコミを乗っ取って)」で、

「上辺の情報」では、

「日本に助けてもらった急速な近代化」を「植民地支配からの解放」という「嘘にすり替えて、国をスタートさせた」から、

「反日教育」まで必要になり、

そんな「嘘の歴史を無理やり正当化する為」に、「継続的な日本からの謝罪や補償」を「欲しがり続けている」のが、「韓国の実状」である。

「そんな韓国」に対し、「総理大臣」が「嘘継続中の韓国権力者の都合に適う自虐土下座談話」を「発表してしまった」から、

「中国の増長」の「引き金」となり、

「上辺は漁船、実質的には、中国共産党の工作船と推定される船」が「領海侵犯&如何にも工作船らしい衝突事故」まで起こしたのである』。

・・・・・・・。

『「民主党政権」は、「外交安保の大失点」の「責任を取り、直ちに退くべき」である。

「政治空白を生まない為」にも、「自主的で速やかな政界再編」が望ましい』。

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早速、「小沢復権の手助け」を始めた「韓流テレビ・マスコミ・ネット」問題・・・。

『民主党代表選の「結果」は出た。「党員・サポーター票、地方議員票、国会議員票、全て、菅氏の勝ち」である。

「金・政治経験・権力者人脈を持つ」、

「強権・大金持ち、小沢・鳩山等々」による、「多数派工作や、人脈圧力や、懐柔等々」が在ったのに、

「この結果」だ。

「一般日本国民」による「反小沢世論」の「強さ」が良く判る』。

『ところが、「韓流テレビ・マスコミ・ネット」等では、「早々と、小沢復権の為の応援」を始めている。

「元々、小沢氏の復権」には、「多くの一般日本国民がNO!!!」であり、

「反小沢世論」が、「菅氏の全勝

(国会議員票まで菅氏の勝利・・・とは、正直、筆者は、思っていなかった。

直接の圧力や懐柔が利き易い国会議員票では、

大金を持ち、財界や団体等の権力者人脈により近い小沢氏側が圧倒的に有利だったのだから・・・。)

を招いた」のに・・・。

「本当に、往生際の悪い連中」である・・・』。

『「何故、世論は反小沢なのか?」

「政治と金の問題」ももちろんあるが、

「理由の一つは、大権集中主義」である。

「小沢氏の言う、行政の無駄を徹底的に省くや、政治主導」とは、

「少数政党・少数議員に権力を集中させる政治主導政治」に他ならず、

「その実態」は、「共産党一党独裁政治主導体制である中国」や「二大政党政治主導体制である米国」を見れば、明らかな様に、「民主主義というより、権力主義」である。

「直接行政に係わっている人の数が少ない分、行政コストは低くなる」が、

「その分権力も集中してしまう」から、

「民主主義から遠くなる」。

「民主主義の一つの究極の形」は、「直接民主主義」だが、

「それにより近い」のが、

「多数政党&多数官僚等行政官システム」であり、

「行政にお金がかかっている分、

利権も分配され、

より細かな部分にまで目が届き、

民主主義に近い状態がもたらされている」のである。

しかし、「現状の日本のシステム」には、「高級官僚等による天下りや渡り等々」という、「実務???な高立場・高報酬等」、「不健康で無駄な部分」も在る。

「不健康で無駄な部分を是正する事」と、

「基本的なシステム」を「独裁よりに近づける事」は、

「大きく違う」。

「現状の日本で重要」なのは、

「ある程度民主主義に近い行政システム」を、

「行政コストだけに注目して、悪戯に、独裁に近いシステムに改悪する事では無い」。

「人口減少」や「自虐情報・教育」等、「不健康な部分を是正する事」である。

「子どもが既にいる人に、大金持ちにも、外国人にも、子ども手当て」などという「無駄な政策は止め」、

「多くの子どもや家庭を持ちたい一般日本国民が、

安心して子どもや家庭を持てるように」、

「格差是正手当て」等の「実効のある政策」を行えば良いのだ。

「現実離れした自虐情報・教育は、止め、事実現実に基づいた正当な情報・教育を行うべき」である。

例えば、「死生観の現代化」を行えば、「現実離れは、是正され、自虐度も下がる」のだし、

「それ自体が新たな産業」ともなり得る。

「人々の精神状態が安定し、現実把握能力が向上」すれば、「不健康な社会」も「是正され易くなり、科学等の発展も容易になる」。

「大金持ちは、悪である」と「正しく認識する」人が多数派となれば、

「大金持ち」による「大金の実体経済離れや停滞」も「防ぎ易くなる」。

「お金の流れが良くなれば、景気も良くなるのは、当然」だ。

「金余りなのに、景気が悪い」のは、「大金の実体経済離れと停滞」が「原因」なのだ。

「大金持ちという悪人」には、「悪行是正の為にも、重税が当然」である。

「小沢氏の言う」ように、「より独裁に近づける行政システム」にすれば、「行政コストは削減可能」だが、

「地方主権で分配されるお金」は、「地方の独裁的首長一派が牛耳れ」、

「地方分配を支配する国の与党の首長一派」は、

「実質的に、国を支配する事さえ可能」になる。

「そんなシステムの国の中」では、「多くの一般国民が、萎縮する」と同時に、

「一部の者たちが、自分たちが大権を得ようと、あらゆる手段を用いる様になる」から、

「国自体が先細り」になる。

「現状で中国が発展している」のは、「開発途上で人口が多いから」に他ならず、

「開発途上でも無く、人口も減っている日本」で、

「独裁に近づける行政システム」を用いてしまえば、

「得られる結果は、人口の多い大きな中国の後を追う状態」である。

だから、「日本を中国や朝鮮の後追い国にしたい反日人脈」は、

「独裁に近づける行政システム」を提唱している「小沢氏の応援」をしているのだ』・・・。

もうバレバレなのに・・・。

『「小沢も、既に終わっている」・・・のに、

「韓流テレビ・マスコミ・ネット等々」は、「本当に、往生際が悪い」なぁ』・・・。

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民主党代表選、「小沢氏劣勢」を受けて「国会議員票が全て・・・」とでも言いたげなコメントを連発している「小沢等ご用達解説者」問題・・・。

『「元々、小沢等への応援コメントを連発していた何処かの局の解説者」は、「投票日である本日、国会議員票が全てであるかの如き解説???を連発している」』・・・。

『曰く「国会議員票で半分以上となれば、党としての政権運営にも大きな影響力を持つ事になる・・・」と、

「まるで、国会議員票が全て」であるかの様なニュアンスなのだ』。

『「本来の民主政治」を「大切にする解説」なら、

「民意により近い、党員・サポーター・地方議員票の意向こそ重視されるべき・・・」とでも言うべきなのだが』・・・。

『「実質的には、利権団体的党として、{ごちゃ混ぜ多数政党}を実現している民主党等の大政党」では、

「党首・幹事長等に大権を持たせたヒエラルキーが必要不可欠」になる。

「その様な政党による政治」は「民主主義」というより、

「利権分配主義」や「強権・独裁主義」になり易い。

「かつての自公政権」は、正に、「利権分配主義」の様相を示していた。

そして、「小鳩政権時代の民主党政権」は、小沢強権幹事長の下、「強権・独裁主義」の様相を示していた』。

『「ヒエラルキー上部に位置する国会議員票が全て」であるかの様な解説???を述べた解説者???は、

「国会議員票で有利な候補の応援をしている」のと同時に、

実質的には、同様の「強権・独裁主義に基づいた」「何処かの国の体制」を賛美している様なものなのだ。

「その様な解説???をする者」には、「日本の民主化より、日本の何処かの国化」という「思想」が、「根底に潜んでいる」と推定される』・・・。

・・・・・・・。

『「日本のテレビ」等は、「何処かの国の臭いが濃厚な特定・極一部の人脈」によって「牛耳られている」様相を示している・・・。

「日本のテレビ等は、日本人の手に取り戻すべき」である』。

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